鎌倉殿の13人

用語集

日本初の武家政権による歴史書「吾妻鏡」

執権北条氏の主導によって編纂された鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には、源頼朝・源頼家・源実朝の源氏3代、そしてその後の摂家将軍を経て宗尊親王が将軍になる時期までが記されています。
鎌倉時代のまとめ・その他記事

追放と暗殺ばかり!鎌倉幕府の将軍一覧

鎌倉幕府を創立した源頼朝以降、その子供達や摂家将軍・宮将軍など、それぞれ将軍になった経緯と主な出来事、そして主に追放で締めくくられる退任の理由をご紹介しています。
戦国時代の人物録

織田信長に折檻状を叩きつけられた筆頭家老・佐久間信盛

織田家の筆頭家老として長年仕え、石山合戦の後に織田信長から19カ条からなる折檻状を叩きつけられ、追放された佐久間信盛についてご紹介しています。
鎌倉時代の人物録

北条政子の夢買いの末路は

夫・源頼朝が鎌倉幕府の初代将軍の妻になった北条政子は、夫や子供達を失った後に尼将軍として鎌倉殿の地位を手に入れ、北条義時とともに承久の乱に勝利しています。
鎌倉時代の人物録

梶原景時の変から3日後に亡くなった宿老・三浦義澄

三浦義澄は和田義盛とともに鎌倉殿の13人に選ばれていますが、北条時政による他氏排斥の諸端・梶原景時の変から3日後に病死しています。
鎌倉時代の人物録

源頼朝の意志を継ぐ者・北条義時

源頼朝の挙兵から従った北条義時は、平氏打倒に貢献しています。数々の政争をくぐり抜けた後、総指揮官として承久の乱を勝利に導いています。
鎌倉時代の人物録

平治の乱からの家人・足立遠元

足立氏という藤原北家から分かれた豪族の家に生まれた足立遠元は、源義朝と平清盛が戦った平治の乱にも参戦しています。源頼朝の死後には十三人の合議制に名を連ねていますが、この合議制は梶原景時の変や安達盛長の病死によって1年と保たず解体しています。
鎌倉時代の人物録

源頼朝の創業に尽くし北条義時の前に散った男・和田義盛

和田義盛は源頼朝が安房国に逃亡した頃に、三浦義澄と共に御家人となっています。侍所の別当職を巡って梶原景時と一悶着、そして畠山重忠とも遺恨のあった義盛は、北条時政の他氏排斥に乗じて恨みを晴らしますが、父を追放した北条義時によって討伐されています。
鎌倉時代の人物録

文官として鎌倉幕府の歴史を書き綴った二階堂氏の祖・二階堂行政

工藤氏という藤原南家の下級貴族の家柄に生まれた二階堂行政は、三善康信と大体同時期に源頼朝の御家人として鎌倉入りしています。そして大江広元といった文官系御家人と共に鎌倉幕府草創期を支え、源頼家が鎌倉殿になった後には十三人の合議制に名を連ねています。
用語集

鎌倉殿とは鎌倉幕府そのものや棟梁の地位にある人物を意味します

鎌倉殿という呼称は、鎌倉幕府を樹立した源頼朝の父・源義朝が鎌倉に本拠を置いたことに由来する、源氏の棟梁の地位にある人物を指す単語です。あくまで棟梁という地位を指すため、征夷大将軍に就任する前の源頼家や、源実朝が暗殺された後の北条政子も同様の呼称が用いられています。