戦国時代の時代史

戦国時代の時代史

戦国時代8 室町幕府の滅亡 | 織田信長による足利義昭追放

今回の記事では、室町幕府15代将軍足利義昭が織田信長によって京都から追放され、250年近く存続した室町幕府がついに滅亡する場面をご説明いたします。 すでに織田信長に見切りをつけていた足利義昭は、信長を倒して京都へ上洛し、義昭自身を支えてくれる勢力を探していました。その声に呼応して出撃した武田信玄は徳川家康との戦いに勝利しますが、病に倒れ亡くなってしまいます。武田信玄が亡くなったことにより東の脅威がなくなった信長は、安心して将軍義昭の処分に乗り出すことになります。
戦国時代の時代史

戦国時代7 信長包囲網 | 織田家の周りは敵だらけ

今回の記事では、浅井家朝倉家の連合軍を倒して勢いに乗る織田信長に対して、諸大名が連合を組んで立ち向かう場面をご説明いたします。 織田信長が上洛を果たした際に敗れた三好三人衆は、三好氏の本拠地である四国から京都奪還の機会を伺っていました。単体で織田信長と戦争となっては勝ち目がない程の差ができてしまっていたため、三好三人衆は織田家を内側から切り崩す作戦に出ます。
戦国時代の時代史

戦国時代6 姉川の戦い | 浅井・朝倉と織田・徳川連合軍の激突

前回の記事では非常に親密な関係を保っていた織田信長と足利義昭ですが、今回の記事では段々と敵対関係となっていきます。自分自身の利益を拡大するためには裏切る手を組む相手を変えることや他者の権利を侵食していくのは当然、といった世相はいかにも戦国時代といった感があります。 織田信長は将軍との関係が悪化していく中で並行して、妹・お市の方の婿である浅井長政や朝倉義景と交戦状態に入り、金ヶ崎の戦いや姉川の戦いで激突します。
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戦国時代5 織田信長の京都上洛 | 足利義昭を将軍にするために

今回の記事では近畿地方で栄華を誇った三好家が長慶死後に分裂し、将軍の座をめぐるゴタゴタの中で織田信長が台頭していく場面をご説明します。 近畿一円に覇を唱えた三好長慶でしたが、弟である十河一存(そごうかずなが)が病死した頃から体調を崩すようになっていました。さらに長慶の長男・三好義興が22歳の若さで病死してしまい、期待していた跡継ぎを失うことになります。 その後13代将軍足利義輝が永禄の変で暗殺されると、義輝の弟・足利義昭は自身が将軍となるために力を貸してくれる味方探しを始めます。その味方として白羽の矢が立った人物が、当時美濃国を制圧した織田信長です。
戦国時代の時代史

戦国時代4 三好長慶の台頭

三好氏は両細川の乱でも登場していますが、元は細川晴元の一族の家臣を務めている家柄です。四国の阿波(あわ、現在の徳島県)の一部を拠点としていた三好氏出身の三好長慶は、細川家の中で頭角を現して急速に出世し、細川家のみならず室町幕府を牛耳る大物へと成長していきます。
戦国時代の宗教史

戦国時代3 天文法華の乱 | 比叡山延暦寺は他宗派を許さない

天文法華の乱は複数の宗派が入り乱れているため、視点や立場によって呼び方が変わります。日蓮宗の視点からは「天文法難」と呼ばれ、他宗派からは「天文法華の乱」と呼ばれています。比叡山延暦寺や奈良興福寺といった仏教勢力は平和的な団体ではなく、信者を武力に変えて利権を巡る戦いに没頭します。
戦国時代の時代史

戦国時代2 両細川の乱 | 細川政元の後継者を巡る氏族内の争い

今回の記事では、明応の政変でクーデターを起こした細川政元が幕府の主導権を握ったその後、細川氏族内の対立から内戦に至るまでをご説明します。 細川政元によって京都内で幽閉されていた義稙でしたが、その後京都からの脱走を成功させ、越前(現在の福井県)に逃げ込みます。そして元将軍の肩書を駆使して味方を募り、京都へのカムバックを目指して挙兵します。
戦国時代の時代史

戦国時代1 明応の政変 | 管領・細川政元のクーデター

応仁の乱があらゆる階層の人間を巻き込んだことにより、日本の在り方が大きく変わることとなりました。幕府の権威が弱まり、半独立状態となった全国各地の守護大名が相対的に力を増しています。 現代の日本史解釈では今回の記事でご説明する「明応の政変」からを戦国期の始まりとすることが多いのですが、当ブログでは国人や守護代の乗っ取りが起こり始めた応仁の乱以降を戦国時代としています。他の資料とは解釈が違う場合があるため、予めご了承ください。