鎌倉時代

源頼朝の意志を継ぐ者・北条義時

源頼朝の挙兵から従った北条義時は、平氏打倒に貢献しています。数々の政争をくぐり抜けた後、総指揮官として承久の乱を勝利に導いています。
その他考察

「武士道」という時代によって遷りゆく日本人の美意識と理想像

武士達が持つ独自の道徳観や美意識は時代ごとの状況に応じて形を変えながらも、脈々とその精神を受け継いでいます。武士道の根底にある武勇・質実・礼節といった考え方は、現代でも日本人の振る舞い方に強い影響を及ぼしています。
用語集

悪党とは朝廷や幕府に反抗した個人・集団です

元々は律令制からあぶれた人々を指していた悪党という単語ですが、平安時代の後期からは荘園支配を揺るがした人を指して使われています。また後醍醐天皇に味方して鎌倉幕府滅亡の一因を作った楠木正成も、幕府からは悪党として認定されています。
用語集

御家人とは鎌倉殿と主従関係を結んだ武士

もともとあった「家人」という言葉に鎌倉殿への敬意を表す「御」という接頭語が付き、「御家人」という鎌倉時代ならではの単語が生まれています。この単語は将軍と直接「御恩と奉公」の関係にある武士を意味しており、鎌倉中期以降は多くの優遇を得た特権階級ともなっています。
鎌倉時代

平治の乱からの家人・足立遠元

足立氏という藤原北家から分かれた豪族の家に生まれた足立遠元は、源義朝と平清盛が戦った平治の乱にも参戦しています。源頼朝の死後には十三人の合議制に名を連ねていますが、この合議制は梶原景時の変や安達盛長の病死によって1年と保たず解体しています。
用語集

儒教とは孔子によって体系化された宗教や学問

紀元前500年頃の中国で孔子によって体系化された儒教は、東アジア圏の道徳・倫理観に影響を及ぼし続けています。それは日本も例外ではなく、古代に伝わって以降も形を変えながら全国に浸透し、江戸時代には国学とされ、そして神道との混淆である垂加神道は尊皇攘夷活動の原動力にもなっています。
用語集

平氏とは主に桓武天皇の孫を起源とする皇室由来の氏族です

蝦夷征討に莫大な予算を割いたことにより国家財政が逼迫したため、桓武天皇の孫の代から「平姓」を与えられる臣籍降下が始まっています。各地で根付いて武士団を形成した平氏も非常に多く、その中から平清盛や北条時政といった国政を左右する大物も現れています。
鎌倉時代

源頼朝の創業に尽くし北条義時の前に散った男・和田義盛

和田義盛は源頼朝が安房国に逃亡した頃に、三浦義澄と共に御家人となっています。侍所の別当職を巡って梶原景時と一悶着、そして畠山重忠とも遺恨のあった義盛は、北条時政の他氏排斥に乗じて恨みを晴らしますが、父を追放した北条義時によって討伐されています。
用語集

流罪とは罪人を遠方に追放する刑罰です

明治時代になくなっているため現代に生きる我々にはピンときませんが、死罪がなくなった平安時代以降は流罪という刑罰が最高刑となっていました。都市部から隔離し不便を味合わせた上で緩慢な死を与えるこの刑罰は、菅原道真や崇徳上皇、源頼朝や後醍醐天皇など多くの日本史上の有名人が受けています。
鎌倉時代

文官として鎌倉幕府の歴史を書き綴った二階堂氏の祖・二階堂行政

工藤氏という藤原南家の下級貴族の家柄に生まれた二階堂行政は、三善康信と大体同時期に源頼朝の御家人として鎌倉入りしています。そして大江広元といった文官系御家人と共に鎌倉幕府草創期を支え、源頼家が鎌倉殿になった後には十三人の合議制に名を連ねています。