源頼朝

鎌倉時代の人物録

梶原景時の変から3日後に亡くなった宿老・三浦義澄

三浦義澄は和田義盛とともに鎌倉殿の13人に選ばれていますが、北条時政による他氏排斥の諸端・梶原景時の変から3日後に病死しています。
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源頼朝の意志を継ぐ者・北条義時

源頼朝の挙兵から従った北条義時は、平氏打倒に貢献しています。数々の政争をくぐり抜けた後、総指揮官として承久の乱を勝利に導いています。
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平治の乱からの家人・足立遠元

足立氏という藤原北家から分かれた豪族の家に生まれた足立遠元は、源義朝と平清盛が戦った平治の乱にも参戦しています。源頼朝の死後には十三人の合議制に名を連ねていますが、この合議制は梶原景時の変や安達盛長の病死によって1年と保たず解体しています。
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源頼朝の創業に尽くし北条義時の前に散った男・和田義盛

和田義盛は源頼朝が安房国に逃亡した頃に、三浦義澄と共に御家人となっています。侍所の別当職を巡って梶原景時と一悶着、そして畠山重忠とも遺恨のあった義盛は、北条時政の他氏排斥に乗じて恨みを晴らしますが、父を追放した北条義時によって討伐されています。
用語集

流罪とは罪人を遠方に追放する刑罰です

明治時代になくなっているため現代に生きる我々にはピンときませんが、死罪がなくなった平安時代以降は流罪という刑罰が最高刑となっていました。都市部から隔離し不便を味合わせた上で緩慢な死を与えるこの刑罰は、菅原道真や崇徳上皇、源頼朝や後醍醐天皇など多くの日本史上の有名人が受けています。
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文官として鎌倉幕府の歴史を書き綴った二階堂氏の祖・二階堂行政

工藤氏という藤原南家の下級貴族の家柄に生まれた二階堂行政は、三善康信と大体同時期に源頼朝の御家人として鎌倉入りしています。そして大江広元といった文官系御家人と共に鎌倉幕府草創期を支え、源頼家が鎌倉殿になった後には十三人の合議制に名を連ねています。
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鎌倉殿とは鎌倉幕府そのものや棟梁の地位にある人物を意味します

鎌倉殿という呼称は、鎌倉幕府を樹立した源頼朝の父・源義朝が鎌倉に本拠を置いたことに由来する、源氏の棟梁の地位にある人物を指す単語です。あくまで棟梁という地位を指すため、征夷大将軍に就任する前の源頼家や、源実朝が暗殺された後の北条政子も同様の呼称が用いられています。
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1代で全てを手に入れ失った初代執権・北条時政

源頼朝と娘の北条政子の婚姻を許した北条時政は、協力者として挙兵を後押ししています。源頼家の将軍就任後には十三人の合議制のメンバー入りを果たし、梶原景時や比企能員といった政敵を排除、そして源実朝の代には初代執権に就任しますが、実朝暗殺未遂で北条義時によって鎌倉から追放されています。
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鎌倉殿の独裁を阻止せよ!十三人の合議制

源頼朝の時代は当然のように将軍による独裁政治が行われていましたが、御家人達にとって不満の種ともなっていました。そして2代将軍に源頼家が就任した後も続いたため、北条時政など幕府の宿老達は頼家の独裁を阻止するため、また若い将軍を補佐するために十三人の合議制を発足しています。
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安達盛長が源頼朝と北条政子を縁結び?

安達盛長は源頼朝の流人時代から従者として仕えた最古参の御家人の1人です。「曽我物語」では頼朝と北条政子の間を取り持った人物とされていますが、そんな話が出る程頼朝と親密だったのでしょう。鎌倉殿の13人に加わってはいますが、一年後に盛長が亡くなってすぐに十三人の合議制は解体しています。