特権を持つ一族の総称です
貴族とは日本のみならず世界各国の歴史で見られる、一般庶民とはハッキリと区別される特権を持つ人々を指します。世襲で代々特権を受け継いでいくため、余程のトラブルやヤンチャをしなければ子孫も特権の恩恵を受けることができるシステムです。国家というか君主にとって有益な人物や一族に特権を与えて優遇することで、忠誠心を喚起し裏切りを防止する仕組みと言えるでしょう。
貴族は君主制の国家で
特権的な階級は基本的に、君主制という国王や天皇・皇帝といった圧倒的なトップがいる場合に成立します。国の収益の何割かを手元に入れる最高特権を持つ君主と、そのおこぼれに預かる利権を持つ階級と、税という形で搾取される一般民衆という構図は君主制国家ならではのものになります。
ちなみに君主制に反対する形でできた民主主義では、世代をまたいで利権を維持する特権階級は認められていません。相続という概念もありますが、これはあくまで所有する財産や名声を引き継ぐだけであり、例えば生まれた時から「〇〇県の県知事になる権利があります」といった人はいませんよね。本人の頑張り次第、というコンセプトが民主主義のモットーですね。
日本史を作り上げた貴族・皇族という特権階級
日本で天皇という名称が使われる前の時代、大王(おおきみ)と呼んでいたヤマト王権の頃にはすでに古代貴族とも言える豪族が登場しています。ヤマト王権に協力した地方領主や、大王の親類縁者など由来は様々ですが、この段階での貴族層は後々の世まで繁栄を続けています。
平安時代の代表的氏族である「源平藤橘」のうち、源氏と平氏は平安時代の皇族の末裔であり、また藤原氏と橘氏はヤマト王権期から大王家(後の天皇家)に仕えた由緒正しいお家柄となっています。つまり「源平藤橘」は全て、古代から大王家に関与していた人物の子孫ということになります。平安時代に隆盛を極めた藤原氏を始めとして、鎌倉幕府の将軍家である源氏、歴代執権を勤めた平氏の流れを汲む北条家、そして室町幕府将軍家の足利家は源氏ですので、日本史はほぼヤマト王権頃の皇族・貴族の子孫によって作られたことになります。
武士も貴族と同様に特権階級の1つです
中世の封建制における地方領主も、日本では貴族ではなく武士という名称が用いられていますが、立派な特権階級の1つです。鎌倉時代以降の武士は朝廷や幕府によって土地の領有を認められ、また世襲する権利も認められた一族ということになります。
「下剋上」がブームとなっていた戦国時代あたりでも、武士階級と一般庶民の間には明確な差がありました。一般庶民は「足軽」として1兵卒の役割を担うことになりますが、武士は当然指揮官として部隊を統率する役割となります。この「足軽」達を指揮する権利を、世襲で受け継いでいるという点でも武士は特権階級と言えるでしょう。
明治以降の貴族=華族
明治維新後に制定された大日本帝国憲法では、元上級貴族や元大名、また軍事や政治・経済面で功績を挙げて爵位を受けた者に対して、「華族」と呼ばれる一握りの人間が特権を持つことを認められていました。「華族」は経済状況が悪化すると国庫からの援助金が出るだけでなく、借金が返済できなかった場合に財産の差し押さえから逃れられるという、国から保護を受けることができる特権がありました。
ちなみに華族や皇族の子供は無試験で「学習院」に入学することができ、さらに当時最高の教育機関・帝国大学に欠員があればこれまた無試験で入学できるという、一般人から見ればインチキとしか言いようのない待遇となっていました。我々現代日本人が生きている時代のわずか100年前には、日本にもこんな制度があったことに驚きです。
イギリスの貴族感だけを残す称号の制度
現代でもイギリスなど一部の国では、古くからの名家や特別な功績のあった人物に授与する爵位という制度が残っています。爵位の授与というといかにも貴族の仲間入りといった感がありますが、爵位はあくまで称号としての意味しかなく、特権は一切付随しないという制度になっています。 ち
なみに現代イギリスの法律では名前を改名するための条件がかなり緩いため、貴族感を出すためだけに「Load」や「Duke」など、爵位を示す単語を子供の名前に入れてしまうハジケた人もいるようです。憧れてしまう気持ちもちょっとわかりますけどね。
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