源氏とは皇族の子孫に与えられた氏姓

源氏の代表的な家紋・笹竜胆 用語集
源氏の代表的な家紋・笹竜胆

源氏とは

臣籍降下した皇族の姓

平安時代頃に皇族が臣籍降下した際に天皇から与えられた氏姓として、主に「源」と「平」の2つがあります。「平氏」姓は主に平安時代初期の桓武天皇の子孫に与えられましたが、「源氏」姓は平安時代以降も各年代で与えられており、最新のところでは江戸時代前期に正親町天皇の子孫に与えられたケースまであります。

源氏は貴族として朝廷に残った家も多くありますが、地方で武士化した家も多く、特に源頼朝や足利尊氏・徳川家康の3人は幕府を樹立するという大きな成功を収めています。

姓を与えられる=臣籍降下

このことは今も昔も同じなのですが、実は皇族には姓がありません。もともと天皇家はオンリーワンな存在ですので、立場を示すための姓なんか必要なかった訳ですね。まあこれは古代中国王朝でも同様で、皇帝の一族も姓を名乗っていません。

これを逆の意味で考えてみれば、姓を持つということは一般人であることを意味します。つまり源氏姓を与えられることは臣下の身分に落とされること、つまり「臣籍降下した」ということになります。

ちなみに天皇家の特異性についてはこちらでご説明しておりますので、ぜひご覧ください。

予算の問題で臣籍降下した皇族たち

各世代の天皇は多くの子孫を残し、そしてその子孫たちもそれぞれ子孫を残すため、基本的に皇族はガンガン増えることになりますよね。ですが増え続ける皇族達を全て国費で養うわけにもいかないため、氏姓を与えて皇族から臣籍に落とし、自分で仕事をして食べていけ、と突き放したのが「臣籍降下」という訳です。

ところが当時の皇族と言えば世間知らずもいいとこですので、いきなり仕事をしろというのも無理というものですよね。という訳で、臣籍に降りた一世代目の源氏や平氏に限り、高位の官職が与えられるなど優遇されたようです。

特権を失った皇族の活路は?

臣籍に降りた1世代目は官職面で優遇されていましたが、2世代目以降の人々にはあまりというか、ほぼ優遇はありませんでした。しかもその2世代目の人達には優遇がないだけでなく、お父ちゃんから仕事のコツを教えてもらえるなんてこともそうそうなかったので、まあ出世なんて望める訳もありませんよね。

という訳で多くの源氏・平氏姓の人々が朝廷での出世を諦め、地方に活路を求めました。そんな元皇族達は地方の武士団と結びついていったのですが、皇族という肩書にはやはり人を惹き付ける力があったのか、気付けば武士団のシンボルとして扱われていました。

そんなこんなで京都から遠い関東や九州にも、食い詰めた源氏や平氏がしこたま流れていきました。つまり元皇族が京都での出世争いに敗れたことで武士団が生まれ、今度は武士が日本を支配したという、なかなか因果な物語となっております。

「源」姓の語源

「皇室と源流を同じくする」という意味で、「源」という姓が臣籍降下の際に与えられました。この「源」という姓は中国の故事にちなんでおり、王室から分かれた家の姓が「源」とされたことに由来しています。平安京のネーミングといい源氏姓の由来といい、当時の日本がどれほど中国の影響を受けていたかが窺えます。

桓武天皇の平安京遷都についてはこちらからどうぞ。

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源氏=武家の棟梁=征夷大将軍就任の条件に

源頼朝の座像
鎌倉幕府を樹立した源頼朝

朝廷という通例や慣習が極めて重要視される世界では、過去に例がない事に対してはかなり消極的で、できる限り回避する傾向があったようです。1192年に源頼朝が征夷大将軍に就任していますが、平安時代初期には大伴弟麻呂や坂上田村麻呂が就任しているためか、この段階では特定の氏族と密接に結びつくことはありませんでした。現に鎌倉幕府3代将軍・源実朝が暗殺されて以降は藤原氏や皇族など、源氏以外の人間が何度も征夷大将軍に就任しています。

源姓以外の人物が征夷大将軍に任命された、摂家将軍・宮将軍についての記事はこちらからどうぞ。

ところが1338年に足利尊氏が征夷大将軍に任命されると、世間に対して強い影響力を持った源頼朝と足利尊氏が源氏だったということで、「征夷大将軍=源氏オンリー」という謎の固定観念が生まれ、「源氏=武家の棟梁」という考え方が定着しています。足利尊氏の征夷大将軍就任以降は源氏以外の就任例は一切なく、平氏の織田信長だけでなく、天下統一を果たした豊臣秀吉ですら就任できていません。ですが江戸幕府を樹立した徳川家康は、藤原姓から源姓に改姓するという荒業を使って条件を満たし、無事に征夷大将軍に就任しています。

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