秘密の教えで人々を救え! | 密教とは主に空海によって伝えられた仏教の奥義です

密教を日本に伝えた弘法大師こと空海の銅像 平安時代の宗教史
密教を日本に伝えた弘法大師こと空海の銅像

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密教とは

一口に仏教と言っても様々な教えがありますが、大別すると「顕教」と「密教」に分かれています。「顕」という単語は顕わ(あらわ)、つまりむき出しで露出していることを意味しており、一般民衆に対しても包み隠さずに説かれている部分が「顕教」と呼ばれます。今も昔も「顕教」は民衆を教化するために用いられ、比較的シンプルで一般人にも解釈が容易なことが特徴です。

この「顕教」とは対比的に、仏教の中で秘密とされ公開されていない部分が「密教」です。「密教」は難解であまりに奥深いため、普通の人間には理解できないどころか誤った解釈をする可能性があるということで、勉学に励み修行を積んだ僧侶の間でのみ伝えられています。つまり「密教」という特殊な宗派や教義がある訳ではなく、仏教の中でも高僧の間で秘密にされてきた奥義こそが「密教」です。

現世利益を得られる密教

平安時代初期に伝わった密教には、それまで日本にあった仏教宗派の教義とは大きく異なっている点があります。従来の仏教は基本的に一般民衆の教化を目的としており、極楽浄土に行くために徳を積み信仰心を持とう、という「死後の安寧」を売り文句にして信者を獲得していました。このことをちょっとヒネくれた形に言い換えるならば、信者になったとしても死んだ後にしかメリットがない、とも言えてしまいますよね。

密教法具・獨鈷のイラスト
獨鈷(どっこ)と呼ばれる密教法具

これに対して密教は、「現世利益(げんぜりやく)」が得られるという、当時としては非常に斬新な教義でした。「現世利益」とはそのまま現世での利益を意味しており、要するに「生きている間の良いこと」を表します。つまり密教は死後がどうこうという話ではなく、生きている内にメリットを得られる、という画期的で強烈なキャッチコピーを持っていた訳です。密教には呪術的な要素が多分に含まれているため、この呪法によって現世の困難を排除し、物事をいい方向に進める役割を担えることになります。死後じゃなくて現世利益が得られてお得です!、ということで密教が伝来した直後に天皇家や公卿が一気にパトロン化し、平安京に空前の大ブームを巻き起こしています。

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日本の密教宗派

空海が開いた東密・真言宗

日本での密教については平安時代初期、当時の中国王朝・唐から空海という僧侶が持ち帰っています。空海は本来であれば20年留学する予定で唐へ渡ったのですが、わずか2年で師から奥義を授けられるという天才ぶりを発揮、密教の正統な後継者という地位を得て堂々と日本に凱旋しています。そしてタイミング良く起きた「薬子の変」で嵯峨天皇の成功を祈り、見事勝利に導いたとして密教の有効性が高く評価されました。

薬子の変についてはこちらからどうぞ。

人気僧侶となった空海の元には多くの弟子入り志願者が殺到し、たちまち教団を形成する規模にまで成長しました。そして空海は「真言宗」という新宗派を設立、平安京の九条にある東寺を総本山として活動したことから、真言宗は俗称として「東密」とも呼ばれていたようです。空海の元に集った人物にはこれから一旗揚げようという無名の僧侶も多かったのですが、すでに天台宗を開き名声を得ていた「最澄」も弟子入りしています。

真言宗の総本山・東寺の五重塔
真言宗の総本山・東寺の五重塔

空海こと弘法大師に由来することわざの解説はこちらからどうぞ。

最澄が開いた台密・天台宗

空海に先んじて唐から帰国していた最澄は、すでに天台宗の開祖として名声を得ていたにも関わらず、空海に弟子となり密教を学んでいます。というのも最澄が唐で学んでいたのは主に浄土思想という死後の安寧を目指す分野だったため、密教分野にはそれ程詳しくなく専門外であり、空海が持ち帰った密教の方が優れていると判断したようです。とは言え最澄はすでに天台宗の開祖となっていた身分だったため、さすがに毎日を空海の元で過ごす訳にはいかなかったようですが、弟子の「泰範」を通じてひたすら書籍を借りての勉強を繰り返しました。年下であり後輩でもある空海に弟子入りするという凄まじい程の向学心が実ったのか、最澄も空海から密教の奥義を授けられ、密教が取り入れられた天台宗は「台密」という俗称でも呼ばれています。

ところが空海と最澄の間を行き来していた「泰範」という人物は、もともと天台宗に所属していたものの、後に空海の元に走り真言宗に鞍替えしています。この寝返り事件があって以降は空海と最澄の間の関係も冷え切り、同じ密教を扱う宗派であれどそれぞれ別の道を歩み始めています。

比叡山延暦寺の阿弥陀堂
比叡山延暦寺の阿弥陀堂

天台宗は平安京の北東に位置する比叡山延暦寺を総本山としていましたが、元々主に「顕教」を扱う一般大衆向けの宗派でした。そこに密教を加えたことで教義に多様性が生まれ、仏教を根本的に見直す研究すら始まっています。そして比叡山延暦寺は平安時代末期頃には仏教を幅広く学べる大学のような存在になり、僧侶を目指すための充実した環境が整備されました。鎌倉仏教に含まれる「浄土宗浄土真宗・日蓮宗・臨済宗曹洞宗」の開祖達は、皆が皆一様に比叡山で修行に励み仏教を学んでいます。

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