書の達人・弘法大師から生まれたことわざ
現代にまで伝わる空海の教え
平安時代初期に遣唐使として中国・唐の国に渡った空海でしたが、帰国後に仏教の一派・真言宗の開祖となり普及に努めました。この真言宗は「現世でメリットを得られる」密教のカテゴリに属していたため、信徒にとってはこれまでの仏教宗派とは一味違う「現世利益」を見込めた訳です。
この「現世利益」という部分が欲にまみれた平安貴族の心にスマッシュヒット、貴族や皇族を中心に大量の信者を獲得しました。そして空海は没後に「法を広めた偉い人」という意味を持つ「弘法大師」という名が与えられ、その名は現代に至るまで広く信仰の対象となっています。
弘法大師の言動が慣用句に
空海は僧としての活躍だけでなく、「書」の達人としても名を知られていました。その腕前は相当なものだったようで、同時代を生きた嵯峨天皇・橘逸勢とともに「三筆」に数えられています。そしてその筆の技術にちなんだ「ことわざ」や慣用句すら出来ており、現代でも割と使われるモノも多く残っています。
今回の記事では、弘法大師にちなんだ慣用句である「弘法にも筆の誤り」、「弘法筆を選ばず」、「護摩の灰」という3つについてご説明いたします。その成り立ちや日常的に使われる意味をご紹介した上で、さらに世間一般ではあまり知られていない深い部分まで触れてみたいと思います。
どんな人でもミスる「弘法にも筆の誤り」
書のプロがやってしまったあり得ない脱字
こちらはかなり有名なことわざですので、耳にしたことがある人は結構多いのではないかと思われます。このことわざは平安京の大内裏の内側に設置された応天門の扁額(へんがく、横に長い大きな額です)を書き起こす際に、空海が應天門の「應」の字の上の1画を書き忘れたことに由来しています。
筆の達人で知られた空海ですら字を間違えてしまったということで、世間一般では「どれ程の達人でも間違えることもある」という意味で用いられています。
達人はミスのリカバリーも一味違う
ところがこの誤字エピソードには続きがあり、応天門に扁額が掲げられた際、空海はそれを見て自身も間違いに気づきました。すると空海はおもむろに墨を付けた筆を用意し、ビャっと扁額に向かって投げつけると、見事に遠距離から足りなかった1画を書き足し完成させたとされています。
このイリュージョンレベルの芸当に周囲の人々は驚き称賛したという話から、「達人は間違えた後のリカバリーも凄い」という意味もあるようです。こちらの使い方は世間的に有名ではないためなかなか使いづらいですが、ぜひ修正エピソードを語りながら知識を披露してみてください。
「弘法筆を選ばず」だった訳でもない
実力とは道具に左右されないもの
例えば友人と釣りに行ったとして、その友人はものすごい安物の釣り竿でバシバシ魚を釣り上げまくっていたとします。それに対して自分はゴテゴテした立派な釣り竿だけど全然釣れない、そんな時に友人に「弘法は筆を選ばないって言うだろ?」なんて言われた日には、ボートから突き落とさんばかりの怒りを覚えるのが人間でしょう。
このことわざは弘法大師こと空海が、どんな筆でも美しい文字を書き連ねたという伝承に由来しています。達人の域に達した人間にとっては道具の良し悪しは関係なく、道具のいい部分を活かして使用できるという意味ですね。これを言い換えれば「失敗を道具のせいにしているヤツは2流以下」くらいになるのでしょうが、要するに状況を選ばずに成果を出せることを称賛することわざでもあります。もちろん自分に対して使うのもアリと言えばアリですが、大体の場合は周囲からウザがられるだけなので、なるべくやめておきましょう。
でもやっぱり弘法だって筆を選ぶんです
ところが空海が遺した漢詩集「性霊集(しょうりょうしゅう)」には、「弘法筆を選ばず」とは全く逆のことが書かれています。空海という人物はよほど筆に自信があったのか、公式な文書ですら書き起こす際に一切の下書きをせず、全て一発書きで仕上げていたそうです。そのため空海の手による文書は異様な程数が少ないのですが、せめて空海が歌った漢詩だけでも後世に残したい、そんな想いを持った弟子・真済が空海の横で書き写したものが「性霊集」とされています。
その「性霊集」の中には「良い筆を使えなかったので上手く書けなかった」という、空海のツイートのような一文が記されていたりします。前後の状況など全くわからないのですが、要するに上手く書けなかったことを筆のせいにしちゃってる訳ですね。その筆の毛がどれほどボサボサになっていたかはわかりませんが、やはり空海とてキチンとした仕事をするためにはキチンとした道具が必要だったようです。
「護摩の灰」はそのまんま
日本の仏教界に多大な功績を残した空海は、死後に贈られた「弘法大師」という名で民衆にまで伝わりました。その名は全国各地に伝説を残しており、実際に空海が訪れたことがない所にすら弘法大師に関連した温泉があったりします。そんな超有名な偉人の名は良いことにも多く使われていますが、残念ながら詐欺に使うためにも非常に有効だったようです。
この弘法大師の名を騙った詐欺は旅人によって行われたケースが多く、そこらで薪を焼いて得た灰を、弘法大師が焚き上げたありがたいご利益がある護摩の灰として高値で売る詐欺があったそうです。そんなもん誰が買うんだろう、と思ってしまうのはやはり現代人だからなのでしょうか、平安時代頃の熱烈な大師信仰も相まって意外なほど被害があったようです。このことから「護摩の灰」という慣用句は詐欺師を意味するようになり、後の時代には逆に旅人を襲う盗人をも意味するようになりました。日本全国いたる所で信仰を集めていた空海でしたが、詐欺師にも大人気だったというオチでこの記事を締めたいと思います。最後までご完読いただきありがとうございました。
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