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鎌倉殿とは
鎌倉幕府に関係する武家の棟梁の地位にある人物を指す単語です。また武士の棟梁は主に将軍という幕府の最高権力者を指すということで、幕府そのものを指す場合もあったようです。これは現代で言えば日本政府という各大臣や官僚による政治行動が、全部ひっくるめて総理大臣のせいにされるのと同様の現象でしょうか。
ちなみに鎌倉殿という呼称は、清和源氏の棟梁の地位にあった源義朝が鎌倉に居館を置いたことに由来しており、義朝の家人から「鎌倉にいる殿様」という意味で使用されていました。そしてその長男である源頼朝が武家全体の棟梁として幕府将軍に着任したため、全国の武士達に広く定着したという流れになっています。
征夷大将軍にはならずとも「鎌倉殿」
「将軍」と「鎌倉殿」という言葉はほぼ同じ意味で使用されはしますが、前者はあくまで役職を表すものであり、後者は「地位」を表しています。鎌倉幕府の2代目将軍・源頼家は源頼朝の死後すぐに「鎌倉殿」の地位を継承していますが、朝廷から征夷大将軍就任の許可が降りたのは頼朝の死から3年後です。ですが頼家はその間も鎌倉殿という呼び名で呼ばれ続けているため、将軍職には就いていないけど「鎌倉殿」ではある時期があったことになります。
源頼家についてはこちらからどうぞ。
また3代将軍・源実朝が公暁に暗殺された後は、初代将軍の妻であり2・3代将軍の実母である北条政子が将軍の地位を代行し、「鎌倉殿」と呼ばれています。北条政子はもちろん征夷大将軍には着任していないため、「鎌倉殿」という単語はあくまで「棟梁の地位」を指す言葉だったと言えるでしょう。この差別化が何かに役立つことはあまりないとは思いますが、友達とNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について語る時にマニアな知識を披露してあげましょう。
北条政子についてはこちらからどうぞ。
室町時代以降も意味を変えながら使用されています
この単語は鎌倉時代を通して全国的に使われたためか、足利尊氏によって室町幕府が成立して以降も、将軍職にある人物や幕府そのもの指して使用されています。ですが3代将軍である足利義満が京都の室町に「花の御所」を建てると、この場所にちなんで将軍を指す「室町殿」という呼称が使用され始め、この室町殿という単語こそが室町幕府や室町時代という時代呼称の由来になっています。
足利義満以降の幕府将軍が「室町殿」と呼ばれるようになると、「鎌倉殿」という単語は鎌倉に拠点を置いて関東10カ国の監督に当たる役職、「関東公方」を意味する言葉となっています。この鎌倉公方は足利尊氏の4男・足利基氏を祖として代々世襲されていますが、代を重ねていくうちに京都の室町将軍と対立し、度々幕府打倒の挙兵を企てるというヤンチャぶりを発揮しています。そういった経緯もあって鎌倉公方は関東地方で独立的に大きな権力を持ちますが、室町時代中期には「永享の乱」といった内紛が連続し、その結果伊豆の堀越公方と下総国の古河公方に分裂、これ以降は「鎌倉殿」という呼称は使用されなくなっています。
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