戒名(かいみょう)とは
多くの宗派で用いられる受戒の証・戒名
仏教では出家した者に対して、「戒名」という本名とは異なる名前が与えられます。出家とは俗世で蓄えた財産としがらみを全て捨てること、そして仏教における戒律を受け入れることを意味しますが、「戒名」とはその戒律を受け入れた証となります。
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故人に戒名を付ける風習は日本オリジナル
現代でも亡くなった方に対して戒名を付けることが多いですが、実のところこの風習は日本にしかありません。仏教発祥の地であるインドにもなく、また発展の場となった中国、そして熱心な仏教国であるタイやスリランカにもない風習です。
仏教では生前の行いによって極楽か地獄に振り分けられるとされており、だから生きているうちに良いことをしよう、という考え方が根本にあります。良いことの内容は宗派によって様々で、座禅を組んだり寺院へ寄付をしたりと色々な方法がありますが、いずれにせよその量と質によって極楽に行ける可能性が高まるという訳です。その延長として家族が故人の極楽行きを願うために、寺院に依頼して戒名を付ける、という風習が出来上がりました。
この風習は平安時代の末期頃から始まったとされていますが、この時期は法然の浄土宗が流行り始めた時期と重なっていたりします。浄土宗と言えば「専修念仏」、つまり念仏を唱え続ければ極楽に行けますよという教義ですが、いかに当時の人々が極楽往生を求めていたかということですね。
法然が興した浄土宗についてはこちらからどうぞ。
法名は浄土真宗など一部の宗派で用いられます
仏教では宗派ごとに定められた「戒律」を受け入れ、出家した証として「戒名」が授けられる訳ですが、浄土真宗には「戒律」自体がありません。浄土真宗では飲酒・肉食・性行為といった人間の欲求をそのまま肯定しているためか、「戒律」どころか出家するという概念すらなかったりします。ということで浄土真宗系の宗派には当然「戒名」なんてものはないのですが、それでも仏弟子になりたいという者に与えられるのは「法名(ほうみょう)」となります。
戒名を名乗った武将たち
武将が出家して戒名を名乗ったケース
本来なら出家とは俗世を捨て去ることを意味しますが、武士が出家した場合には全然その限りではありません。鎌倉時代あたりから戒名を名乗った武士は数多くいますが、大概の場合はそのまま軍事や政治に携わっています。これが戦国時代になると戒名を名乗る武士がさらに増加、有名な大名で言えば上杉謙信や武田信玄、そして豊後国(だいたい大分県)の大友宗麟(そうりん)はまさに代表例といったところでしょう。彼らは俗世を捨てたならあり得ない「苗字+戒名」を公に名乗っており、現代においても本名よりこちらの方がメジャーですよね。
冒頭の見出しでもご説明していますが、「出家=俗世間での一切を捨てて仏門入りすること」であるため、戒名を名乗りながら大名のまま居座ること自体がちょっと違う気がしますよね。一応は支配地域の寺社勢力を味方につけるため、もしくは仏教を保護する姿勢を見せるために仕方なく、といった事情もあったのでしょうが、大部分が「シンプルにカッコいいから」だったものと思われます。現に大友宗麟は戒名を名乗りながらもキリスト教に入信するという謎の行動をとっているため、特に出家した自覚もなかったのではないでしょうか。
武将化した僧侶の例
武将が出家したケースとは逆に、僧侶が武将化し名乗りを上げた例もかなりあります。戦国時代に浄土真宗門徒を率いて織田信長と10年も石山合戦を戦い続けた僧侶、本願寺顕如はまさにその典型例と言えるでしょう。ですがこの名乗りはあくまで「寺の名前+戒名」であり、「本願寺」は苗字ではなく拠点の石山本願寺を意味しているだけです。これを現代風にすれば「企業名+名前」くらいの意味合いになるのですが、なぜかこの寺の名前を苗字風に名乗る形式は後に一般化してしまいました。
中国地方の毛利家にも僧侶から武将化した「安国寺恵瓊(えけい)」という人物がいますが、この名前もよくよく見れば「寺の名前+戒名」ですよね。また江戸時代の最初期に徳川家康のブレーンとして活躍した、南光坊天海・金地院崇伝(こんちいんすうでん)の両名もやっぱり寺院名を苗字感覚で使っていたりします。今も昔も日本人にとって、苗字と名前のセットがいかにしっくりくるかということですね。
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