武田信玄

用語集

仏教の戒律を受け入れた証・戒名

戒名とは出家し戒律を受け入れた証として与えられる名前ですが、戦国時代以降は異名のように使われた例も多くあります。
その他考察

敗北していった戦国大名たちの目的とは

戦国時代は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑リレーによって幕を閉じていますが、この記事では敗北していった大名の目的や負けた理由をご説明しています。
用語集

軍師とは君主・将軍の戦略指揮や補助を担う立場の人物です

様々な軍記物に登場する「軍師」は戦略の立案や戦場での指揮に当たる者を指しますが、実際の活躍以上に脚色されるケースも多くあります。
その他考察

戦国最強の義将・上杉謙信は女性だったのか? | 上杉謙信女性説

戦国時代に武田信玄と並び、最強国の一角として日本全国に名を轟かせていた上杉謙信でしたが、男性ではなく女性だったという異説が提唱されています。 八切止夫氏が唱える上杉謙信女性説を始めとして、女であったという根拠をご説明いたします。
その他考察

日本中世までの騎馬隊事情

古事記にも馬に関する記述があるなど、日本でも古代から馬は生活や軍事的に利用されていました。ハニワにも馬に鞍などが取り付けられているものが多く、また馬装品そのものが出土するなど、古墳が建造される頃にはすでに騎馬隊の活用がかなり広く普及していました。ここで生産された馬は騎乗馬として騎馬隊に用いられる他、情報の通信手段や農耕用にも使われています。
安土桃山時代の時代史

安土桃山時代1 長篠の戦い | 騎馬の武田勝頼と鉄砲の織田信長

長篠の戦いは元々徳川家と武田家の間に国境間の争いがあった中で、奥平貞昌の寝返りがキッカケとなって起きています。武田勝頼は徳川家康と寝返った松平貞昌を攻撃するために徳川領に侵攻していますが、徳川家の同盟相手・織田信長が参入してきたことで一気に決戦ムードが漂います。
戦国時代のまとめ・その他記事

戦国時代 武田と織田の関係

武田信玄としては美濃の国主である斎藤家からの防衛のため、織田信長は美濃国を攻撃するため、織田家と武田家は双方のメリットのため身を寄せ合うように同盟を結んでいます。斎藤家を共通の敵と見なした「敵の敵は味方」という関係ですが、織田信長はその後も涙ぐましい努力で信玄との関係を維持しています。
戦国時代の時代史

戦国時代8 室町幕府の滅亡 | 織田信長による足利義昭追放

今回の記事では、室町幕府15代将軍足利義昭が織田信長によって京都から追放され、250年近く存続した室町幕府がついに滅亡する場面をご説明いたします。 すでに織田信長に見切りをつけていた足利義昭は、信長を倒して京都へ上洛し、義昭自身を支えてくれる勢力を探していました。その声に呼応して出撃した武田信玄は徳川家康との戦いに勝利しますが、病に倒れ亡くなってしまいます。武田信玄が亡くなったことにより東の脅威がなくなった信長は、安心して将軍義昭の処分に乗り出すことになります。
戦国時代の時代史

戦国時代7 信長包囲網 | 織田家の周りは敵だらけ

今回の記事では、浅井家朝倉家の連合軍を倒して勢いに乗る織田信長に対して、諸大名が連合を組んで立ち向かう場面をご説明いたします。 織田信長が上洛を果たした際に敗れた三好三人衆は、三好氏の本拠地である四国から京都奪還の機会を伺っていました。単体で織田信長と戦争となっては勝ち目がない程の差ができてしまっていたため、三好三人衆は織田家を内側から切り崩す作戦に出ます。