平安時代

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第六天魔王となりて | 崇徳天皇が怨霊になってしまった理由

日本三大怨霊の一人とされる崇徳上皇は、平安時代の末期に過酷な運命を背負って生まれています。父とされていた鳥羽上皇が実父ではないという疑惑や、謀反人と疑われたことで起こした保元の乱の後に、配流された讃岐国で天皇家を呪う壮絶な言葉を残して亡くなります。
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平安時代2 蝦夷征討と徳政論争 | 征夷大将軍・坂上田村麻呂の成功と武士が生まれた理由

平安京への遷都を行った桓武天皇は、次なる事業として蝦夷の征討を目指します。征夷大将軍・坂上田村麻呂を始めとする朝廷軍は、アテルイ率いる蝦夷との戦いに打ち勝ち、東北地方平定の足掛かりを作ることに成功します。坂上田村麻呂の活躍により東北が落ち着くと、桓武天皇はより良い国内統治のために徳政相論を行わせ、平安京遷都と蝦夷征討の影響で貧困にあえいでいた農民達の救済を目指し始めます。ですが徳政相論で決まった政策は朝廷軍の縮小に繋がり、結果的に武士団が形成されていくキッカケとなります。
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平安時代1 平安京ができるまで | 桓武天皇は仏教勢力と怨念を乗り越えて

奈良時代の天皇は天武天皇の系統が占めていましたが、桓武天皇の父・光仁天皇の代から天智天皇の系統に戻っています。これまで天武系の政策によって増長し続けた貴族や仏教勢力の干渉を嫌った桓武帝は、784年に長岡京、そして794年に平安京遷都を強行します。