軍師とは君主・将軍の戦略指揮や補助を担う立場の人物です

軍師が持つ采配のイラスト 用語集

軍師とは

軍中において軍を指揮し統率する、または君主や将軍の戦略立案をする役割を指します。この軍師という役割は古代中国から始まり東アジアでは普及していますが、ヨーロッパでは近代に入り「参謀」の制度が出来上がるまで同様の立ち位置はありません。物語の中での軍師は時に君主から先生扱いされていたりしますが、実は軍記小説など創作物の中で勝手に脚色されたケースが大半だったりします。

ほとんどの「軍師」はフィクションです

神がかり的な先読みで不利な戦いを圧倒的有利に導き、様々な装備を駆使して数倍の敵をも撃ち破る。時には砂嵐や台風といった天災をも利用し、果ては妖術めいた能力で敵をも操って勝利する。若干大袈裟な表現ではありますが、世間一般での軍師イメージは大体こんな感じではないでしょうか?

非常に残念ではありますが、実在した軍師にそんなスーパーな能力が備わっている訳もなく、まして不思議な力を持っている訳もありません。ですが軍師という言葉が独り歩きしている現代では、「軍師とはとんでもない逆境を覆して逆転勝利に導く」なんてヒーロー像が当てはめられていたりします。

このことは大量の戦国大名たちの軍記物が創作された江戸時代において、単純に軍師が活躍した作品が好まれたためです。ただ単に大名がのし上がっていく物語よりも、軍師とのタッグプレーで成功する物語の方が単純にウケた訳ですね。また大袈裟な表現がされた本の方が売れるのが世の常ということで、ただの歴史小説がどんどん魔法大戦のように進化していったのでしょう。日本では三国志演義という大量の軍師が登場する物語も人気が高かったためか、「三国志にいるなら戦国時代にもいただろ」くらいのノリで、勝手に軍師に当てはめられた人物も結構多かったりします。

三国志の曹操は軍師を制度化し積極採用

物語の中での軍師はフィクションだらけではありますが、古代中国では実際に軍制に取り入れられていた事例もあります。三国志演義でもお馴染みの「曹操」は、自身の政権内に「軍師」を役職化して大量に採用し、軍事や国政・人事に至るまで議論させ結論を出していました。基本的に君主の鶴の一声で全てが決まるご時世にあって、下の立場にいる人間の意見もきっちり取り入れていた珍しい事例でもあります。その軍師集団は三国志演義でも大活躍の、郭嘉・荀彧・荀攸・程昱など錚々たるメンバーだったこともあり、曹操としても判断を預けられる程に信頼があったのかもしれません。

曹操の肖像
軍師大好き・曹操の肖像

羽柴秀吉の軍師・竹中半兵衛と黒田官兵衛

魔法じみた力を持つスーパーマンではありませんが、日本にも軍師の役割を担った人物は数多く存在しました。武田信玄にとっての山本勘助、上杉謙信に仕えた宇佐美定満、今川義元に仕えた太原雪斎は、それぞれの君主の参謀として意思決定に関与したとされています。戦国の風雲児こと織田信長は、自身があまりにスーパーすぎて参謀など必要なかったようですが、その家臣・羽柴秀吉には竹中半兵衛重治、そして黒田官兵衛孝高(よしたか)の2人がサポートに当たっています。

この2人は江戸時代の軍記物で引っ張りダコの人気者で、2人の通称から「二兵衛」と一纏めにして呼ばれる場合もありました。半兵衛と官兵衛は実際にも秀吉に多くの献策をしており、特に中国平定戦では兵糧攻めや水攻めといった一風変わった攻城戦を展開しています。竹中半兵衛は播磨国(兵庫県南西部)三木城の兵糧攻めの最中に病死していますが、黒田官兵衛は半兵衛の死後も秀吉の天下取りに大きく貢献しています。

竹中半兵衛についてはこちらからどうぞ。

ですが官兵衛のあまりに冴え渡る智謀がいきすぎたためか、むしろ秀吉に怖れを抱かせたことすらあったようで、天下をとった直後に豊臣政権の中枢から外されていたりします。古代中国の「漢」を建国した劉邦にも、「韓信」という優秀すぎる大将軍がいましたが、この「韓信」も建国直後に劉邦によって暗殺されているため、優秀すぎる家臣は平和な時代では不要な存在なのかもしれませんね。

黒田官兵衛の良いエピソード集はこちらから。

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