時代区分とは歴史の流れを把握するための道標です
どの国にも大なり小なり歴史はありますが、一貫して同じ体制が続くなんてことはまずありません。支配者の交代や国の統合・分裂など、様々な出来事の上に「現在」が成り立っています。つまり歴史とは「今現在に至るまでの過程」なのですが、もしこれを学ぼうと思った場合、一つひとつの出来事を全て把握するのには只ならぬ労力が必要となってしまいます。日本で言えば記録が残っている時代から数えても、現代まで約1400年もの時間が流れている訳で、その間の全てを把握しようと思った時点で心が折れてしまいそうですよね。
ですがそんな我々の苦悩に応えてくれたのか、歴史家の方々は「時代区分」という括りを用意してくれました。「時代区分」としてざっくりと区切ることで、時代ごとの特徴と流れを大雑把に把握できるという訳です。日本においては平安時代や戦国時代といった時代呼称もありますが、今回の記事ではさらに上のカテゴリとなる「古代」や「中世」・「近世」・「近代」についてご説明いたします。
とは言え「時代区分」のカテゴリ分けは今もなお議論の余地がある分野ということで、「今は大体こういった分け方が一般的」、もしくは「こんな解釈もあるよ」くらいでご紹介したいと思います。
古代・中世・近世・近代という4つの時代区分
古代とは文明が成立し始めた歴史の出発地点
人類の歴史は原始時代、つまり文明がなく狩猟や採集で生計を立てていた時代から始まっています。その後に農耕が始まり定住化すると、人々が集団で生活する単位「村」が形成されました。やがて村同士の侵略や統合によってより大きな単位となる国が成り立つと、人々は自分達の記録をなんらかの形で残すようになりました。
この歴史の出発点と言える時代こそが「古代」と呼ばれますが、我々現代人が歴史を知ることのできる限界点、つまり何かしらの記録が残され始めた時代という意味でもあります。
封建制に代表される日本史と西洋史の「中世」
西洋史では十字軍やら魔女狩りで暗黒の時代として扱われがちな「中世」ですが、この呼称は単純に「古代」と「近世」の間だから「中」世と名付けられたそうです。西洋史研究の分野では「中世」はヨーロッパ固有とされていたようで、他の地域にはなかった扱いされていました。
ですが明治時代以降に日本史が研究されていく中で、3つの時代区分だけではどう足掻いても区別しきれない事が判明、20世紀の初頭に日本にも「中世」があったことが発表されています。日本の「中世」は封建制に代表される土地を媒介にした主従関係があったということで、ヨーロッパ地域の「中世」と非常に似ていることも興味深い事実です。
強力な君主が君臨する「近世」
西洋史における「近世」とは、絶対王政期と呼ばれる強力な君主が存在していた時代を指しています。行き過ぎ発言の代表格、「朕は国家なり」でお馴染みのフランス王・ルイ14世はあまりにも有名ですが、こんな発言が出てしまうほどに絶対的な支配を確立していたのでしょう。
日本では豊臣秀吉が天下統一後に立ち上げた豊臣政権、そして徳川家康が樹立した江戸幕府の時期が「近世」に当たります。もちろん地域によって時代区分の定義は全く異なるのですが、やはり日本とヨーロッパが似ているのはちょっと不思議ですよね。
現代に近い時代「近代」
フランスで起きた市民革命を皮切りに、ひたすら支配を受け続けていた民衆にようやくスポットライトが当たり始めました。貴族という特権階級を打破して成立した市民社会は、ヨーロッパから世界各地へと広まり、そして現代でも多くの国で採用されている民主主義へと発展しています。
また産業革命によって技術力が大きく向上したことで生産や物流が急速に発達、お金の多寡が全てを決める資本主義が成立し始めました。これらの過程をひっくるめて「近代化」と呼ばれており、この一連の流れが始まった時代以降が「近代」と呼ばれます。
日本における古代・中世・近世・近代・現代
日本史の古代は飛鳥時代から平安時代
我が国日本における古代とは、大体ではありますが飛鳥時代や奈良時代・平安時代までを指しています。一口で言えば「天皇家が強かった時代」となりますが、逆に言えば古代が終わった時期は「天皇家が力を失った時代」ということになります。もちろん何をもって「古代から中世に移行したか」は学説によって異なるようで、貴族による荘園の領有が活発化した11世紀後半、もしくは平清盛という武士がトップに立った1156年の保元の乱という2つのタイミングがあります。
中世は大体鎌倉時代から戦国時代
中世という時代区分は古代と近世の間となりますので、スタートラインは古代が終わるタイミング次第で当然変わります。とは言え日本史における中世は平安末期以降から鎌倉時代、そして戦国時代辺りまでを指しており、要するに武士や貴族達が領土を巡ってアレコレやっていた時期になります。
一応日本の中世は土地を仲立ちとして主従関係があった時代ということで、そのため「封建時代」なんて呼ばれ方もされています。次の近世がいつから始まるかにもよるということで、終了地点がまたちょっと曖昧だったりします。
近世は安土桃山時代から江戸時代
日本史上の近世を語る上でどうしても微妙な扱いになってしまうのが、織田信長という超有名戦国大名でしょうか。織田信長の天下統一はほぼ確定ラインだったのですが、明智光秀の寝返り事件・本能寺の変で敢え無く倒れました。この織田信長は1575年に最後の室町将軍・足利義昭を追放していますが、これによって室町幕府が滅亡した時点、このタイミングこそが「近世入り」とする学説もあるようです。つまり室町幕府が滅亡したことで織田政権が独立、この段階でルイ14世ばりの強権を持ったという説なのですが、この辺りの見解は現代でも意見が分かれています。
まあ細かいことはいいとして、他には豊臣秀吉が天下統一を成し遂げたところから、もしくは徳川家康が関ヶ原の戦いで勝ったところから近世、という区切りが現在でも有力です。とは言え江戸時代は誰もが共通して近世に含めているということで、徳川家康が作った幕府はフランス王朝にも匹敵する、として歴史家さん達は評価しているのでしょう。
明治時代から昭和中期までが近代
江戸幕府が戊辰戦争で破れて新政府が立ち上がると、日本は明治維新という凄まじい変革期を迎えました。すでに近代化を済ませた欧米列強国に対抗するため、そして失われた日本の主権を取り戻すため、明治政府はヨーロッパ諸国を模倣しながら国内改革を目指しています。
やがて帝国主義に踏み切った日本は第一次世界大戦にも参戦、戦勝国としてさらなる発展を遂げました。ですが皆様も御存知の通り、第二次世界大戦においては連合国軍に敗北しアメリカによる統治を受け入れはしたものの、後に現代に至る奇跡的な発展を遂げています。日本史における近代はこの第二次世界大戦に敗北するまで、そしてこれ以降が今に続く「現代」と呼ばれています。現在の我々が生きている「現代」も、もしかしたら後の世では「〇〇代」なんて呼ばれ方をされているのかもしれませんね。
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