上皇とは生前譲位した天皇への称号です

平成から令和へ 用語集

上皇とは

皇位を譲った天皇に対して贈られる称号

後継者に皇位を譲った天皇だった人物に対して贈られる尊号です。この尊称は略称であり、本来であれば「太上天皇(だじょうてんのう」という呼び方が正式な名称となります。ですが昔の人々も長い名前を嫌ったためか、さっぱりとした「上皇」という表現が好んで使われています。

→天皇とは

天皇にならずに上皇になった人物も

あくまで特例中の特例ですが、一日たりとも天皇にならずに上皇の尊号を受けた人物もいます。鎌倉時代初期の後高倉院や室町時代の後崇光院がそれに当たりますが、共通していることは子供が天皇になっていることです。2人とも子供が幼くして天皇に即位したために、上皇となりサポートしたという経緯があります。

ですが皇族ですらないのに太上天皇の尊号を贈られたツワモノもいます。将軍として数々の事業を行った室町幕府3代将軍・足利義満は、当時の中国王朝・明との国交を回復させ、日本にとって莫大な利益を生む日明貿易を始めるという功績を収めています。そして太政大臣にも就いた義満は、天皇を含め朝廷内を完全にコントロール下に置くという、まさに自他共に認める日本の支配者となっていました。そんな義満の死後には、皇族以外で唯一の例となる太上天皇の尊号を朝廷から贈られています。義満の跡を継いだ4代将軍・足利義持によって尊号を辞退されてはいますが、義満は例外中の例外を作る程の功績を認められていたのでしょう。

足利義満についてはこちらからどうぞ。

上皇が出家すると法皇に

上皇が出家した場合には尊号が変わり、「法皇」という呼び名が用いられることになります。代表的なところでいくと院政で朝廷内を牛耳った白河法皇が挙げられますが、法皇になったからといって偉くなるなんてことは全くなく、天皇位を譲った人物という扱いに変わりはありません。

白河法皇といえば院政を行った人物として有名であり、また法皇を名乗った人物はそこまで多くないため、法皇という尊号がいかにも権力と結びついている感があります。ですが院政とは本来、上皇が自身の子供である年若い天皇をサポートするという建前の、摂関政治に類似した政権構造となります。そのため院政に法皇という尊号は関係なく、むしろ天皇が自身の子供や孫である、ということの方が大きな意味を持ちます。平安時代末期に怨霊として恐れられた崇徳上皇も、この院政の仕組みによって逆に苦しめられ、恨みの気持ちを残したまま亡くなるという悲劇も起きています。

崇徳上皇についてはこちらからどうぞ。

上皇という尊号にまつわる歴史

奈良時代から上皇という尊称が登場

そもそも天皇という名称は奈良時代直前の天武天皇から使われているため、上皇という名称についても天皇という名称が定まった後にできています。そのため西暦645年乙巳の変の頃に天皇だった皇極天皇は、生前譲位をしているにも関わらず「太上天皇」の尊号は受けていません。

天武天皇のイラスト
持統天皇の夫でもあり叔父でもある天武天皇

天武天皇が亡くなった後に皇后自らが即位し持統天皇となりますが、持統天皇の孫が一人前にやっていける年頃になるとすぐに譲位しています。この時即位した文武天皇が、譲位した持統天皇に対して贈った「太上天皇」という尊号が日本史初となります。そして奈良時代初期に制定された「大宝律令」の中で太上天皇という尊号が改めて定められ、以降は譲位→上皇という流れが当たり前となっていきます。

天皇の崩御を避けるための譲位に

奈良時代までは何か事情があって譲位するのが一般的でしたが、平安時代に入るとまた別の理由で譲位が行われるようになります。

平安時代も中期に差し掛かる頃には、天皇が在位したまま亡くなること自体を回避するようになり、重態に陥ると譲位して上皇になるという形式をとるようになります。そのため上皇になってから数日で亡くなっているケースが非常に多く、また急死してしまった場合には亡くなったこと自体を隠し、譲位の手続きが済んだ後に公表するという、かなり危なっかしいケースまであります。

この風習は時代をまたいで延々と続いており、江戸時代でも相変わらずとなっていました。江戸中期頃の後桃園天皇に至っては、在位の終了日がなぜか亡くなった日の10日後という訳の分からなさです。記録に矛盾があることよりも、天皇が亡くなる、という事態を避けたかったのでしょう。後の時代の人間として客観的に見てしまうと、記録上で在位と崩御が逆転している方がおかしいと思ってしまいますけどね。

明治時代からは天皇位が終身制に

戊辰戦争を経て明治時代に入ると、明治政府によって「皇室典範」という天皇家に関する制度が作られます。この皇室典範では天皇は終身制と規定されているため、一度即位したら一生天皇ということになります。これによって譲位が起きる可能性がなくなったため、明治期に制定された皇室典範では上皇という立場を認めていません。

実はこの旧皇室典範を制定する際に、譲位を認めるかどうかで激しい論争が行われています。論争の当初には終身制は当然としながらも、身体や精神に重大な疾患を抱えてしまった場合には例外として譲位を認める、という一文が盛り込まれる予定でした。ですがこの一文に猛烈な勢いで噛み付いたのは、なんと日本の初代首相たる伊藤博文でした。

伊藤博文のイラスト
譲位はまずいですよ(キリッ)

当時の日本政府の構造では、政治だけでなく軍事についても天皇に権力が集中していました。譲位が認められた場合には大きな権力を持つ人間が簡単に変わることになり、最悪を想定すれば外国の息が掛かった人物が権力を手にする可能性すらあります。伊藤博文はそういった事態を想定して論争を繰り広げ、結果として譲位の一文は削除されています。

こちらの産経ニュースの記事を参考にしています。結構面白かったので、ご興味がありましたら御覧ください。

https://www.sankei.com/premium/news/161010/prm1610100022-n2.html

平成上皇の譲位で新たな時代に

第二次世界大戦後に制定された日本国憲法の中でも天皇職は終身と定められていたため、生前譲位は認められていませんでした。ですが30年もの間在位し80歳を越えた平成天皇は、「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇であるべき」という考えを述べ、同時に譲位の意志を公表しています。その強いお気持ちによって国会や有識者が動き、平成天皇の譲位を認める特例法が国会にて全会一致で可決、それまで不可能とされていた生前譲位がここで実現しています。

退位礼での平成天皇と皇后様
退位礼での平成天皇と皇后様

出典:首相官邸ホームページ

https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201904/30taiirei.html

その特例法の中では「上皇」という尊号を贈ることとされているため、「平成太上天皇」ではなく「平成上皇」が正式となります。ちょっとややこしい話ではありますが、2019年に退位された平成天皇の場合に限り、「平成上皇」という名称が正式となります。

ちなみにこの特例法は期限付きであるため平成天皇にのみ適用されることになりますが、令和天皇以降も同様の措置がとられる可能性は高いと思われます。一度天皇になったら亡くなるまで天皇でいなければならない、というのは天皇家の人にとってはかなりしんどいことでしょうから。80歳を越えて「日本の象徴」としての職務を果たし続けるというのは、いくらなんでも過酷すぎですよね。


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