足利尊氏

その他考察

「武士道」という時代によって遷りゆく日本人の美意識と理想像

武士達が持つ独自の道徳観や美意識は時代ごとの状況に応じて形を変えながらも、脈々とその精神を受け継いでいます。武士道の根底にある武勇・質実・礼節といった考え方は、現代でも日本人の振る舞い方に強い影響を及ぼしています。
用語集

悪党とは朝廷や幕府に反抗した個人・集団です

元々は律令制からあぶれた人々を指していた悪党という単語ですが、平安時代の後期からは荘園支配を揺るがした人を指して使われています。また後醍醐天皇に味方して鎌倉幕府滅亡の一因を作った楠木正成も、幕府からは悪党として認定されています。
用語集

源氏とは皇族の子孫に与えられた氏姓

源姓は増えすぎた皇族を減らすために、平安時代中期の嵯峨天皇や清和天皇の子孫達に対して与えられた事例が初出となります。朝廷内での出世争いに敗れた多くの源氏は地方へと落ち延びて土着、武士化した後には鎌倉幕府を樹立した源頼朝などを輩出し、武家の棟梁という地位を確立しています。
用語集

武士とは「武家」の構成員です

平安時代の中期頃の日本に現れた、主に軍事行動を行う「武家」に所属していた一定身分以上の人々を指します。あくまで「武家」の構成員を指して使われるため、戦闘行為を一切行わない、または戦うつもりすらない人も数多く存在していました。時代によってどこまでが武士とされるかは変化していますが、江戸時代に入ると「士族」として明確に身分分けされています。
その他考察

日本三大悪人とは | 足利尊氏・平将門・道鏡が悪人とされた理由

今回の記事では、日本三大悪人というちょっと不名誉なリストにランクインしてしまった、足利尊氏・平将門・道鏡の3人の人物とそれぞれの理由についてご紹介したいと思います。 日本三大悪人という大げさなネーミングと響きからは、いかにも残虐な極悪人が揃っていそうな印象を受けてしまいます。ですがこんなリストが作られることになった背景には、明治期以降の天皇を頂点に置いた国家体制と、特に日中戦争以降の軍国化による天皇崇拝があります。道鏡は皇位簒奪未遂、平将門は新皇即位、足利尊氏は天皇への反逆罪で悪人の仲間入りをしています。
戦国時代

戦国時代 比叡山焼き討ちに至るまで

今回の記事では、織田信長が1571年(元亀2年)に比叡山延暦寺を焼き討ちし、滅ぼすに至った理由や経過についてご説明いたします。 畏れ多く有り難い存在であるはずの寺社ですが、人々の崇拝の対象という表の顔だけでなく、僧兵による暴力に支えられた経済的な活動を行ってもいます。その経済的な部分で信長とぶつかってしまったため、結果的に比叡山を丸ごと焼き討ちされるという事件が起きています。
室町時代

室町時代 足利尊氏という人物後編

後醍醐天皇を無事追い払った足利尊氏でしたが、この頃になぜかまた隠居願望が芽生えてきます。逃げ回った挙げ句に九州で再起し、ドラマチックな勝利を収めて栄華はこれから、といったところでの隠居したい発言です。
室町時代

室町時代 足利尊氏という人物前編

武士として戦い続けた人生を送り、後醍醐天皇を倒して室町幕府を樹立するという偉業を成し遂げた足利尊氏でしたが、和歌を詠むような文化的な側面を持つ人でもありました。尊氏の生涯を一通り見てみると、戦上手で部下からの信望も厚く、武士としての慣習を重んじ武士達の気持ちを汲み取るという有能な上司の一面がありながら、たびたび全部嫌になって隠居するという妙な人間臭さが垣間見えます。
室町時代

室町時代2 観応の擾乱 | 足利尊氏・直義兄弟と南北朝が絡み合った内乱

今回の記事では足利尊氏が征夷大将軍に就任し、「観応の擾乱」で部下の高師直と共に足利直義と戦う場面についてご説明をいたします。 ちなみに「観応の擾乱」の擾乱は、「じょうらん」と読み「入り乱れて騒ぐこと」を意味します。こんな言葉が当てられる程、ややこしくて入り乱れた事件となっています。足利尊氏と高師直が足利直義と争い始めたのを皮切りに、南北朝間のイザコザが事件をより大きくしていきます。
室町時代

室町時代1 室町幕府ができるまで | 足利尊氏流浪の果てに

鎌倉幕府が滅んだ後、後醍醐天皇による朝廷の中央集権体制が始まります。 この期間を室町時代には含まずに「南北朝時代」とするのが一般的ですが、便宜上室町時代における最初の場面とさせていただいています。かなり短いですからね。