鎌倉時代の豆知識

鎌倉時代っぽい対決 鎌倉時代

今回は鎌倉時代の、ちょっと細かい豆知識と筆者の妄想をご紹介したいと思います。

そもそも幕府とは

ここまでの日本史では、幕府という単語は一度たりとも出てきていません。「新時代の新しい政府の名称は……幕府です!」くらいの雑な登場ですよね。ですが困ったことに「幕府」という単語の響きには、ワイルド感があるのにスマートで、急に出てきたにも関わらず違和感が全くありません。

そもそも「幕府」という単語は、中国由来の単語です。中国の各王朝やその時々によっても制度に違いはあるのでしょうが、中国の将軍は幕府を設置する権利を持っていました。中国での幕府とは、軍隊を指揮する本拠地のようなものです。「将軍=幕府設置可能」という部分だけが、明治時代に日本へ輸入されたのではないかと筆者は勝手に思っています。

最初に「鎌倉幕府」という名称を考えた人はすごいですよね。こういった武士の統治機関があったという歴史的事実から、「鎌倉幕府」というガッチリした名称を付けてしまうんですから。

源頼朝が幕府を開いたワケ

鎌倉幕府成立当初には、源頼朝は全国的な政権にするつもりはなかったのではないかと筆者は思っています。全国的な政権に育て上げたのは北条氏によるものですね。

幕府成立時の頼朝は少なくとも平氏政権、そして源義仲の政権体制を知っていました。この2つの政権で共通していることは、朝廷に介入しようとしたことですね。

平氏は外戚として朝廷内で権力を振るい、源義仲は皇位継承問題に介入しています。朝廷に介入した者は、必ず朝廷の誘導で別の有力者に追われています。こういった事実を見ていた頼朝は、朝廷とは別の所で自分の政権を打ち立てたいと思っていたのではないでしょうか。

これは推測の推測ですが、政権のモデルとしては奥州藤原氏だと考えています。朝廷に介入せず敬う姿勢を見せながらも、自分たちはほぼ独立国家を形成している状態ですね。

源頼朝がこういった自分の国を作ろうと考えていたかはわかりませんが、北条氏によって実際に作られ、そして結局は朝廷にまで介入し全国的に統治する機関にまで成長しています。

そして・・・朝廷に介入したものの末路は。

歴史は繰り返されますね。

源頼朝が望んだ大将軍位

平安時代には、将軍と名のつく職がいくつかありました。ですが源頼朝は大将軍という響きに心を動かされ希望したようです。

大将軍とつく位はいくつかあり、現に源義仲は征東大将軍に就任しています。源頼朝にも征東大将軍の位は選択肢に挙がったようなのですが、源義仲は滅ぼされているため縁起が悪いとして回避したようです。頼朝自身で滅ぼしておいて縁起が悪いとはどういうことなんでしょうね。

そして平安時代の坂上田村麻呂が蝦夷討伐に向かい、そして成功したことを知っていた頼朝は、縁起の良さからも征夷大将軍の位を希望し就任することになりました。

「てつはう」について妄想考察

学校の教科書にこんな文章が書かれていませんでしたか? 「元軍はてつはうという武器を用い、日本軍を苦しめた」といった文章です。

この平仮名で表記される「てつはう」という武器は、陶器や鉄の容器に収められた簡素な爆弾です。使い方は導火線に火を点けてから敵に向かって投げ、爆音や爆風で相手を攻撃したり威嚇したりする道具です。

どうやって火を点けたかも若干疑問ではありますが、実はこの「てつはう」は重さ4kg程あったようです。4kgの球状の物を戦闘の最中に敵に投げつける、これはなかなか難しいことです。一般女子砲丸投げの、砲丸の重さが約4kgで「てつはう」とほぼ同じ重さになります。この女子砲丸投げの世界記録は、旧ソ連ナタリア・リソフスカヤさんの22.63mですね。

てつはうと同じ重さの砲丸を投げるナタリア・リソフスカヤさん
「てつはう」と同じ重さの砲丸を22メートル投げるナタリアさん

それに対して、鎌倉時代の和弓が現代と同性能かはわかりませんが、三十三間堂の通し矢では120m先の的を狙います。動いている的であればもっと射程は短くなるでしょうが、22mより短いことはないでしょう。

三十三間堂の通し矢

つまり女子オリンピック選手の最高峰クラスの力を持つ人でも、和弓の射程には遠く及ばないということです。元軍の兵が「てつはう」を取り出して投げようと構える頃には、ハリネズミのように矢が刺さっていたはずです。

という前提の元で使い方を考えた結果、「てつはう」は撤退の時に使うのではないかと考えました。幕府の兵が追撃してきている時に点火して真下に落とし、追いかけて来た兵が通過する頃に爆発する。これしかないというのが筆者の結論です。

元軍の兵が全員オリンピック選手の何倍ものパワーがあったら、話はまた別になりますけどね。それはそれで非常に怖いです。

まとめ

今回の記事では、筆者の妄想を混ぜ込んだ豆知識をご披露させて頂きました。

読んでくれた方には感謝の念にたえません。

次回の記事からは南北朝時代という、日本で一回限りの朝廷が分裂した時代についてご説明いたします。

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