聖徳太子とは何者だったのか?

聖徳太子のイラスト 飛鳥時代
聖徳太子

実績と謎を持つ古代日本の救世主・聖徳太子

聖徳太子は誕生する前の段階から、普通じゃない感を醸し出す逸話を持っています。救世観世音菩薩が皇后の口から体の中に入り太子を身篭ったというものや、胎内にいる頃から言葉を発していたなど、生まれる前から特別な人物だったというエピソードが伝わっています。お腹の中で喋ったという逸話には薄っすらと恐怖を感じてしまいますが、救世観世音菩薩という「人々を世の苦しみから救う」役目を持った仏の逸話からは、聖徳太子がその役目を引き継いだ化身であるかのような印象を受けます。

こういったエピソードは後世で創作されたものなのでしょうが、裏を返せば聖徳太子が「人々を世の苦しみから救った」からこそ出来上がった物語なのでしょう。ですが聖徳太子という人物については研究が重ねられた現代でも不明点が多く、実在したかどうかの議論すらある謎多き人物でもあります。今回の記事では聖徳太子の生まれた頃のエピソードや後世での評価、また太子が別人物と同一とされた異説をご紹介したいと思います。

聖徳太子の人物像

用明天皇の第二皇子として

聖徳太子は用明天皇の2番目の皇子となる人物ですが、馬屋の前で生まれたというちょっと違和感のある伝承が残されています。皇后が馬屋の前を通りがかった際に急に産気づき、そのまま出産したということなのですが、普通だったら周囲の人達で屋内に運び込みそうなものですよね。そんな妙な生まれ方の皇子は出産された場所にちなんで、「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」と名付けられています。

厩戸皇子の幼い頃のエピソードとして、多くの人の訴えを同時に聞き、全て理解した上で一人ひとりに答えを返したという話があります。同時にたくさんの人に話させる理由についてはイマイチわかりませんが、一度に多くの話を理解できるほどの賢さを持っていた、という意味の物語なのでしょう。この話にちなんで、「豊聡耳(とよとみみ)」という名でも呼ばれていたようです。

鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス
とよとみ、とよとみみ、無関係でしょうが似てます

蘇我氏と聖徳太子の深い血縁関係

両親となる用明天皇と皇后・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)は共に欽明天皇の子供であるため、異母ではありますが兄妹での結婚となっています。そして天皇・皇后の母親は共に蘇我稲目の娘であるため、太子自身も蘇我氏の血を濃厚に引き継いで生まれています。

当時の政界においてNo.1の座についていた蘇我馬子とも血縁上でも近縁に当たるため、厩戸皇子が政界入りすると自然に蘇我氏と共に政務を執っています。また厩戸皇子が成人し政治活動が活発化した時期の天皇・推古天皇も、同様に蘇我氏の血を濃く受け継ぐ人物です。推古天皇も蘇我馬子の意向を強く反映した政策を採用しているため、聖徳太子は推古天皇と共に日本史の中で悪役として描かれがちな蘇我氏一族と協調し、一緒に「人々を世の苦しみから救った」人物であると言えます。

蘇我氏と天皇家系譜
入り乱れ過ぎててすごいです

閑話休題:近親婚について

ここで古代の時代で多くあった近親婚について、簡単にご説明したいと思います。古代に限らず皇族や貴族にとっての近親婚は当たり前のことであり、むしろ奨励されていたことでもあります。神々の子孫である自分達の血統を守り血の純度を保つため、現代では信じられない頻度で近親婚が繰り返されていました。

このことは日本に限った話ではなく、世界的に見ても枚挙に暇がないほど多数の例があります。中世ヨーロッパのハプスブルク家あたりは有名な例ではありますが、中国や中東あたりでも同様の例が非常に多く見受けられます。ギリシャ神話のゼウスなんかは当たり前のように自分の娘に手を出していますが、どちらかと言えばその神話が書かれた時代の感覚が問題であり、現代の遺伝子学とモラル観念ではあり得ない行為が「普通」だったということですよね。

ギリシャ神話・ゼウスのイラスト
「ミスター手当り次第」のゼウス

貴族や王家の人間にとっては血の純度を保つことで自身の特別性を際立たせ、代々特権を持ち続ける理由としていたのでしょう。ひどい言い方ですが雑種の血を混ぜることは一族が持つ神聖さを薄めることに繋がってしまうため、一族が持つ「神々の子孫」というステータスを維持するために同族婚を繰り返し、既得権益を確保し続ける意図があったと思われます。「貴族・王族=神の子孫」という理由で従っていた一般民衆からすれば、神の子孫ではなくなった人々の利益を保証する理由はないでしょうから。皇族・貴族にとっては血筋こそが自身と一族の地位を保証するものであるため、意地でも自分達の血統を「神聖」に保つ必要があったのでしょう。→貴族天皇

聖徳太子への評価

政治家として超一流

事績ページでもご紹介する予定ですが、聖徳太子は「冠位十二階」や「十七条憲法」という日本初となる制度を作り上げています。現代でも「制度改革!」や「イノベーション!」などとよく叫ばれていますが、改革とは元からあるものを大きく変更しましょうということでしかなく、真っ白な状態から作り上げるものではありません。法や制度といった概念すらない時代の日本において、何もない状態から作り上げた功績は凄まじく大きいと言えるでしょう。

もちろん当時の中国王朝・隋の法令や制度をモデルにして作ったとは思いますが、時代の背景を考えれば施行できたこと自体が偉業だと考えております。推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子ラインでガッチガチに固められた朝廷内は、それこそ重職からあぶれた貴族達の怨嗟の渦がとぐろを巻いていたでしょう。そんな状況で蘇我氏側の人間が、「みんなが従うべき決まりごと」なんてものを発表したのなら、蘇我氏とライバル関係にあった氏族の反発はあって当然のことと思われます。「冠位十二階」という人材抜擢制度とワンセットだったから、そして大物のライバル・物部氏をすでに始末していたからこそスムーズだったのかもしれませんが、それでも日本全体に受け入れられた事自体が聖徳太子の手腕を物語っています。どんなに平等でモラルに溢れた法令でも、全員が従わないことには法律の意味がないですから。

古代以降の太子信仰

仏教の聖人として

聖徳太子が過ごした時代以降にも、仏教の普及に努めたことや業績によって様々な角度から信仰の対象となっています。平安時代には聖徳太子を祀るお堂が日本各地に建設され、仏教を普及させた聖人、また太子自身が観音菩薩の化身であるとして、宗派を問わず信仰を受けています。

鎌倉時代に興った浄土真宗の宗祖・親鸞は、かねてより聖徳太子を敬っていたと伝えられています。親鸞は夢の中で太子に会って自分が進むべき道を尋ね、その上で浄土真宗という宗派を形作っていったとされています。そのため浄土真宗での太子の扱いは非常に丁重であり、また親鸞も太子を褒め称えるだけの著書を何冊も出しています。

親鸞のイラスト
聖徳太子ファン・親鸞上人

ちなみに現代では太子を開祖とした、「聖徳宗」という宗派も存在しています。この宗派は第二次世界大戦後に認可された宗派ではありますが、太子ゆかりの法隆寺を本山とした宗派となっています。

仏教以外でもやたら人気

聖徳太子は四天王寺や法隆寺といった大規模な建築を成功させているため、建築や木工の神としても崇拝を受けています。室町時代以降には太子の命日とされている2月22日が「太子講」の日と定められ、大工や木工職人達が集まり会合を開くという慣習がありました。そして江戸時代に入るとなぜか職種が拡大し、大工以外でも鍛冶職人や桶職人などで広く「太子講」が行われています。

太子堂
兵庫県加古川市にある鶴林寺の太子堂

民間でも人気の高い聖徳太子ですが、戦国時代では軍神としての武将達からの篤い信仰を受け、そして明治時代には優れた外交家として改めて高い評価を受けています。このことはそれぞれ物部守屋を倒したこと、中国の大国・隋と平等外交を行ったことに由来していますが、注目すべきは時代や職種によって別々の物差しで崇拝を受けていたことでしょう。太子自身が様々な分野で功績を残していることもありますが、一般庶民から政府の高官まで身分や職種を越えて高い評価を受けています。

聖徳太子という人物は誰?

隋との強気の外交を成功させながらも国内の法制度を整えるという、日本という国家を作り上げたと言っても過言ではない活躍を見せた聖徳太子ですが、なにぶん古代の人物であるため功績以外のことはあまりわかっておりません。実は先の見出しでご紹介した太子の幼名についても、聖徳太子とは別に「厩戸皇子」という人物がいた可能性すらあり、完全に同一人物である確証は得られていないのが現状です。

そういった歴史の「余白」部分には往々にして議論が巻き起こるもので、神に近い崇拝を受ける太子とは言え例外ではありません。むしろそれだけの人気を誇る聖徳太子だからこそ、熱のこもった議論が繰り広げられているのでしょう。この見出し以降は様々な学説や筆者の妄想を書き綴っておりますので、「こんな考え方もあるんだな」くらいの気持ちで読んでいただけると幸いです。

人の「理想像」として作られた存在

聖徳太子という人物は、人々の理想像として作られた虚構の存在であるという説があります。多くの人の業績を1人の人間に詰め込むことで人為的に「英雄」を作り上げ、朝廷への求心力を高めたという筋書きです。軍事・外交から法律の制定、人材抜擢から仏教の普及まで、当時できる最大限のことを全てこなすというマルチぶりに、あまりに凄すぎて疑問符が投げ掛けられたということですね。

聖徳太子は50歳弱で亡くなっており、織田信長や足利義満と同じくらいの年齢での死没となっています。実際に政治家として活動できたのは多く見積もって35年といったところでしょうが、仕事に取り組むための土台すらなかったため、後の世の2名と比べれば難易度は極めて高かったと言えるでしょう。

そんな状況で全てをこなしたと考えるのはいささか無理があるのかもしれませんが、筆者は「実在」し概ね全てをリードしたと考えています。太子が行ったとされる政策が「善」を志向している、というか明確にしすぎているため、互いの利権を牽制し合う複数人での仕事としては逆に合点がいかないことを根拠としています。1つの仕事に携わる人間が多ければ多いほど、意図がボヤけて妙な所に着地する、という考え方は歪んだ偏見でしょうか。

ところがもう1つの異説では、意外とも言える人物が太子の正体として唱えられています。

蘇我馬子と聖徳太子が同一人物説

聖徳太子が虚構の存在だったか、あるいは実在したかは結局ハッキリしていませんが、飛鳥時代という時期に日本という国が大きく進歩したことだけは確かなことです。その事績は進歩的であまりにも華々しいのですが、ものすごく蘇我氏寄りのものであることも否めません。このことから、「蘇我馬子=聖徳太子」という異説も存在しています。もちろん太子自身が蘇我氏と非常に近い血縁を持っていたということもあり、推古天皇を交えて純粋な協力関係にあっただけ、という可能性も充分にありますが。

古代貴族のシルエットイラスト

蘇我氏にとって有利すぎる政策が根拠に

蘇我氏は代々中国や朝鮮との外交を職掌としており、また相当数の渡来人受け入れを行っています。それまで日本になかった知識や技術を携えてやってくる渡来人は、国内を発展させていくために必要不可欠な存在でした。そういった渡来人から信仰を集める仏教を国内で普及させることは、人々を苦しみから救う以前に、渡来人受け入れのためにも欠かせなかったものと思われます。また当時最先端となる仏教を普及させることで、中国や朝鮮王朝に「文明を持つ一流の国」として認めさせる狙いもあったことでしょう。つまり仏教の普及は、外交を担当していた蘇我氏にとって「有利」そのものとなります。

また「冠位十二階」という人材抜擢制度ですが、実はこの制度では蘇我氏のみ特別扱いとなっています。本来は天皇から臣下に与えるという名目の位階なのですが、蘇我氏だけはなぜか「与える側」という立ち位置に設定されています。つまり「冠位十二階」という制度を作ることで、本来なら臣下の身分である蘇我氏を、天皇という絶対的存在に近づけたことにもなります。全てが蘇我氏有利となった政策じゃないか、ということで「蘇我馬子=聖徳太子」説が成り立っています。

聖徳太子と蘇我馬子同一人物説の陰謀説

もはや訳のわからない見出しとなってしまいましたが、要するに他者の陰謀によって「聖徳太子=蘇我馬子」にされた、という説ですね。これだったらあり得るかな感があり、信憑性は全然ないですが筋は通っている気がします。

「聖徳太子」という名称自体が太子生存当時にはなく、太子の死後に贈られた諡号となっています。その人物の功績を称えるために、立派で箔がつく尊称を贈るという古代から続く日本の習慣でもあります。「聖徳太子」という諡号を贈った中心的人物は、乙巳の変で蘇我氏を討った藤原鎌足の子供・藤原不比等であったと言われています。

中臣鎌足のイラスト
乙巳の変で蘇我入鹿を手に掛けた中臣鎌足さん

もし「聖徳太子=蘇我馬子」であったのなら、誰にも真似できない多大な功績を残した人物の子孫を、乙巳の変で藤原鎌足が討ってしまったことになります。鎌足の子供である藤原不比等は、父・鎌足が大偉人の子孫を殺したという悪名を避けるため、蘇我馬子が行った業績だけを「聖徳太子」という架空の人物に詰め込んで分離し、蘇我氏自体を悪として扱った、という説になります。

「父ちゃんが偉い人の子孫殺しちゃった→じゃあその偉い奴を偉くないことにしちゃえ→やった仕事は別の人がやったことにしよう→聖徳太子完成!」という流れですね。非常にややこしい説ではありますが、その後藤原氏が朝廷を牛耳り続けた事実を考えれば、そのくらいのことは平気でやるのかなという感はあります。

もちろん筆者は太子実在説推しですので、この同一人物説に納得しているわけではありません。こういった考え方もなかなか面白いなと思いつつ、結局は「日出処の天子」を読んでキャッキャしちゃいますけどね。

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感想(1件)

<参考サイト様>

和宗総本山四天王寺 日本仏法最初の官寺 四天王寺の歴史

https://www.shitennoji.or.jp/history.html

レキシル 法隆寺を建てた人物は誰?いつ何の目的で作られたのか歴史も解説!

https://rekishiru.site/archives/7082

刀剣・日本刀の専門サイト 刀剣ワールド  歴史上の実力者「聖徳太子 ~推古天皇の摂政で、有能な甥~」

https://www.touken-world.jp/tips/44314/

歴史のトリビア ひすとりびあ 聖徳太子は藤原不比等に創作された人物だった?

https://historivia.com/prince_shotoku/4110/

古代史妄想 聖徳太子は誰の別名なのか

https://plaza.rakuten.co.jp/systemwelware/diary/201209030000/

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