女神が降り立ち琉球をつくる | 琉球開闢の神・アマミキヨ

久高島から見た沖縄本土 琉球史
久高島から見た沖縄本土

琉球神話で「国産み・国造り」を担った開闢の女神・アマミキヨ

日本神話が古事記という歴史書で語られているように、沖縄にも日本本土とは別の独立した神話が存在しています。世間的には若干マイナーかもしれませんが、琉球神話の中でも最も有名な神こそが、アマミキヨという女神です。

アマミキヨは神話の中で沖縄の島々を造り出し、琉球という国を開闢(かいびゃく/世界や国などの始まり)したという、日本神話におけるイザナミのような役割を果たしています。日本という国の知識も流入していたこともあり、似ているところも多い琉球神話ですが、古事記の日本神話とは異なる独自のストーリーも持ち合わせています。

今回はアマミキヨという女神に焦点を当てて、現代にも残る数々の遺跡の由来、そして日本神話と比較しながら琉球神話の世界観と物語の一部をご紹介したいと思います。

神ノ島とも呼ばれる久高島
神ノ島とも呼ばれる久高島

資料によって多様性を見せる琉球神話

「中山世鑑」におけるアマミキヨ

アマミキヨは琉球王府によって作られた歴史書「中山世鑑(ちゅうざんせいかん)」に、その国づくりの過程と共にどのような神であったかが描かれています。まずは「中山世鑑」の一節を、現代語に直しながら要約してご紹介いたします。

昔、天にアマミキヨという女神がいました。アマミキヨは、ある日、天帝からこう言われます。

「この下に神が住むべき土地があるのだが、島の形をしていない。行って、立派な島を作りなさい」

アマミキヨは、その土地に降り立ちましたが、確かに、東西から打ち寄せる波により島の形をしていませんでした。そこで、アマミキヨは天帝から土や石、草木をいただき、琉球諸島の元になる島を作っていきました。

こうして、アマミキヨは島を作り上げたのですが、いつまで経ってもその島に住む人が来ないことに悩みます。そこで、アマミキヨは天帝に願い出て、天帝の子である男女をもらい受け、その島に住まわせます。

こうして島にやって来た2人の天帝の子は、三男二女をもうけました。長男は国王、次男は諸侯、三男は百姓のはじめとして。そして、長女は最高神官のはじめとなり、次女は神官のはじめとなったのでした。

こうして、この島は栄えていったのです。

この物語が日本神話における「国産み」のシーンと大きく違っている部分は、アマミキヨ自身が子どもを産んだのではなく、天帝の子どもをもらい受けたという点ではないでしょうか。またアマミキヨの5人の子供たちがそれぞれ違う立場の「始め」とされており、兄弟という明確な上下関係を通して「身分」ができているという、琉球王朝による統治に直結した物語となっています。そして天帝というさらに上位の神が存在しており、子どもだけでなく土や石など自然物まで譲り受けている点も日本神話と異なっています。

「おもろさうし」のアマミキヨは古事記寄り

中山世鑑におけるアマミキヨは天帝の助力を得て琉球を創始していますが、「おもろさうし」という沖縄の民謡や伝承をまとめた書籍では別の物語となっており、シネリキヨという男性の神様が登場します。アマミキヨとシネリキヨはニライカナイ(沖縄や奄美地方で理想郷や楽土を意味します)から降臨し、天帝から預かったシマグシナーという矛によって琉球の島々を作り出します。そして二人で暮らす中でアマミキヨは5人の子供を産み、ここからは中山世鑑の物語と一致しています。

「おもろさうし」の神話では夫婦の神が子供を産み、あらゆる階層を含む琉球人の祖先となっています。このくだりは「古事記」のイザナギ・イザナミの「国産み」とかなり似ており、こちらの琉球神話は日本神話がベースになった可能性が高いように思われます。「中山世鑑」は第二尚氏王統の王府によって公式に編纂された歴史書ですが、「おもろさうし」はあくまで民間伝承が元となっており、つまり国が認める神話と民間に伝わる神話は若干異なっていたことになります。第二尚氏王統が成立した時期は15世紀半ばであり、すでに民間レベルでも日本と琉球の交流はあったのでしょう、一般民衆の琉球神話はかなり日本神話寄りとなっています。

「おもろさうし」にも登場する琉球史の悪役・阿麻和利についてはこちらからどうぞ。

様々な島に残るそれぞれのアマミキヨ神話

降臨の地・久高島

沖縄好きな方にはよくご存知だと思われますが、沖縄には「神の島」と呼ばれる久高島が存在しています。アマミキヨが国づくりのために降り立った場所は久高島の北端とされており、その降臨した場所はハビャーン(カベール岬)と呼ばれています。このハビャーンは現代でも重要な祭祀が執り行われる聖地であり、またパワースポットとしても知られています。

久高島・ハビャーンの写真
久高島・ハビャーン

また久高島には五穀が詰まった壺が流れ着いたとされる、琉球の農耕始まりの地・イシキ浜があります。アマミキヨは久高島で農耕文化を広めた後、この五穀を持って稲作が出来る土地を探して沖縄本島へと渡って行ったとされています。つまり久高島はアマミキヨが国づくりを始めた最初の場所であり、生活の糧となる五穀の栽培が始まった島でもあります。故に沖縄本島に数多くある拝所は全て久高島に向けて作られており、遠くからでも感謝の気持ちを込めた祈りを捧げられるようになっています。

奄美大島にも伝わるアマミキヨ神話と習俗

名前の一部に含まれているため、これまで「もしかしたらそうかな?」感をお持ちの方もいたかもしれませんが、その通りアマミキヨは奄美大島を作った神様としても伝わっています。そもそもアマミキヨという名前は、奄美という地名をそのまま表す「アマミ」、そして琉球の古語で人を表す「キヨ」という単語に分けることができます。つまりアマミキヨという神の名前が意味するところは、「奄美の人」もしくは「奄美から来た人」くらいでしょうか。実際のところ神の名が何に由来しているのかは定かではありませんが、このネーミングからは奄美と沖縄本土の密接な繋がりを連想してしまいます。

アマミキヨが作ったとされる奄美大島の人々の間では、この神の呼び名がちょっと変わっており、「アマミク」という名で呼ばれています。そして男性の神である「シニレキヨ=シニレク」と共に島を作り子供を産んだという、呼び名以外は琉球神話と同じエピソードが伝わっています。

ですが奄美に伝わる神話には琉球本土の神話では伝わっていない、アマミキヨの容姿が細かく描写されているのが特徴的です。アマミキヨの額には鬼の角のようなコブがあったとされており、またそのコブを隠すために白い布を巻いていたと伝えられています。そのためアマミキヨに憧れていた女性たちは、それを真似て白い布を頭に巻くという、伝承由来の習俗が生まれたとされています。

昭和初期の祝女の写真
昭和初期の祝女(ノロ)・神事に携わる女性は当然のように白い布を頭に巻いています

ちなみに沖縄にはアマミキヨの子孫という方の家があり、その家にはアマミキヨを模した面が伝わっていたそうです。そしてその面の額には角の様なものがついていたとされており、アマミキヨの伝承の裏付けに一役買っています。一度だけでもそのお面を拝んでみたいとは思いますが、非常に残念ながら現存していないとのことです。

沖縄本島にも残る遺跡

アマミキヨは久高島のハビャーンに降臨したとされていますが、後に沖縄本島へも上陸、人を創造し農耕を根付かせたと伝えられています。この沖縄本島に上陸した場所はヤハラヅカサと呼ばれ、その場所には現代でも石碑が建っています。ヤハラヅカサの石碑には2つの香炉が配されていますが、片方は久高島を、そしてもう片方は同じく神の島とされる大東島(うふあがりじま/沖縄本島の東部に浮かぶ島嶼群)を向いています。琉球の人々の生活基盤を作ったとされるアマミキヨへの信仰は、現代でも様々なところに残されています。

またヤハラズカサのすぐ側には、アマミキヨが仮住まいをしていたとされる浜川御嶽(はまがーうたき)が残っています。浜川とは海近くに湧き出ている水場を指し、また御嶽とは神が来訪する場所であり、それに伴い祭祀を執り行う場所でもあります。琉球では神に仕えることができるのは女性のみとされており、過去には完全に男子禁制の御嶽もあったようで、現代でも男性の侵入が制限されている御嶽もあります。

まとめ

琉球神話で主役となるアマミキヨとサイドストーリー、いかがだったでしょうか。実は琉球史における神話の時代は比較的新しく、12世紀頃までがその範囲に含まれています。日本本土の12世紀と言えば、平家と源氏が争い、源頼朝が初めての武家政権を打ち立てた時期となります。琉球においてはその頃までの資料が非常に少なく、伝説や伝承として伝わっているものが歴史とされていることも事実です。

だからこそ様々な解釈が出来、むしろ琉球の歴史に興味を持つ者としては面白い時代なのかもしれません。次回もまた、伝説や伝承の世界で伝わる琉球史を、皆さんと一緒に見ていきたいと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

女神が降り立ち琉球をつくる・参考サイト様

日本の神様辞典やおよろず アマミキヨ

https://yaoyoro.net/アマミキヨ.html

おきなわごころ かみさまとの暮らし方 沖縄の信仰って?「ニライカナイ」や「アマミキヨ」とは

https://okinawaspirits.com/whatokinawanfaith0607/

天下泰平 〜滝沢泰平 公式ブログ〜 アマミキヨ

http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51976323.html