源義経

その他考察

日本三大美人 | 小野小町・常盤御前・静御前

日本三大美女とされる小野小町・常盤御前・静御前について、それぞれ軽めのエピソードをご紹介しています。
用語集

日本初の武家政権による歴史書「吾妻鏡」

執権北条氏の主導によって編纂された鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には、源頼朝・源頼家・源実朝の源氏3代、そしてその後の摂家将軍を経て宗尊親王が将軍になる時期までが記されています。
平安時代のまとめ・その他記事

平泉の地で栄華を誇った一族・奥州藤原氏

清原氏を乗っ取った藤原清衡、兄弟間の争いを制した藤原基衡、最盛期を築いた藤原秀衡、そして奥州藤原氏最後の藤原泰衡をご紹介しています。
室町時代のまとめ・その他記事

室町幕府によって強化され将軍の弱体化を招いた「守護」

鎌倉時代に始まった「守護」職は、室町幕府によって「使節遵行権」「刈田狼藉の検断権」「半済」の3つの権限を得たことで、軍事・経済的に強化され後に戦国大名に発展しています。
用語集

地頭とは荘園領主の代わりに地域の軍事・徴税権を行使する役職です

文治の勅許によって鎌倉幕府が任命権を得た地頭という役職は、荘園領主に代わっての徴税や治安維持の代行を職掌となります。
鎌倉時代の人物録

もしかしたら源頼朝のお兄ちゃん・八田知家

八田知家は保元の乱を経験した、鎌倉殿の13人の中でも北条時政に次ぐ古参の御家人です。この人物には平治の乱で敗死した源義朝の落胤説がありますが、この説を裏付ける資料は残念ながら残されていません。八田家は小田家と名を変え戦国時代まで続きますが、小田氏治と子供達の代で系統が絶えています。
鎌倉時代の人物録

梶原景時は因果応報の果てに散る

源頼朝の命を救った梶原景時は、武士としての能力だけでなく持ち前の落ち着きや教養で頼朝の信頼を勝ち取っています。源平合戦の作戦を巡って確執のあった源義経の排除には成功していますが、源頼家が将軍職を継ぐと十三人の合議制が発足、鎌倉殿の13人となった直後に梶原景時の変で討ち取られています。
鎌倉時代の人物録

日本を駆け巡る源頼朝の幼馴染・中原親能

子供の頃に源頼朝と共に過ごした時期を持つ中原親能は、平氏に追われて鎌倉へ落ち延び、平氏打倒の挙兵をした頼朝と合流しています。各地での軍功だけでなく朝廷との交渉役をも務め続けた親能は、弟・大江広元と共に鎌倉幕府の中心人物となり、「鎌倉殿の13人」にも名を連ねています。
鎌倉時代の時代史

鎌倉時代1 鎌倉時代の始まり | 源頼朝による鎌倉幕府成立

鎌倉幕府の成立契機である文治の勅許、また源頼朝の征夷大将軍就任や奥州藤原氏との戦いについてご説明しています。
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