元寇

鎌倉時代

倭寇が海賊行為を働いた理由と変遷 | 東アジアの国々を巻き込んだ一大ムーブメント

倭寇とは中国大陸や朝鮮王朝から見た日本人の賊を意味する単語ですが、一口に倭寇と言っても前期と後期では別の活動を行っており、構成している人種も異なっています。前期には朝鮮半島や中国沿岸部を荒らし回った倭寇でしたが、戦国時代の頃には私貿易の仲介者となり、また東南アジアに移り住んだ人々は土着するなど、かなりバリエーションのある変遷をしていきます。
戦国時代

戦国時代 火縄銃の日本伝来と普及 | 2挺から世界一の鉄砲大国に

ポルトガル人によって種子島にもたらされた鉄砲は、領主・種子島時尭の命令で刀鍛冶が2年がかりで複製に成功すると、紀伊国や近江国など鉄砲生産の中心となった地域を経由して瞬く間に日本全土へ普及していきます。鉄砲が伝来してから30年も経つ頃には織田信長は3千を越える鉄砲隊で長篠の戦いに勝ち、そして伝来から50年後には日本が世界一の鉄砲保有国となる程の急激な発展を遂げています。
鎌倉時代

鎌倉時代5 元寇 | モンゴル帝国の襲来

元寇は大きく分けて2回起きており、1274年の一回目が文永の役、1281年の二回目が弘安の役と呼ばれています。7年もの間をあけて2度も日本に攻め込んできたフビライ・ハンの元軍に対して、北条時宗を中心に武士団がまとまり、元軍を撃退することに成功します。