安土桃山時代

桶屋の息子から50万石の大大名へ・福島正則

豊臣秀吉とイトコ関係にあった福島正則は、小姓として取り立てられた後は順調すぎるほどの出世を重ね、広島藩55万石の大大名へと成長しています。ですが大坂の陣後の台風によって広島城が破損し、傷んだ箇所を修繕すると違反として摘発され減封、さらに本人の死とともに残りの領土も全て失っています。
用語集

源氏とは皇族の子孫に与えられた氏姓

源姓は増えすぎた皇族を減らすために、平安時代中期の嵯峨天皇や清和天皇の子孫達に対して与えられた事例が初出となります。朝廷内での出世争いに敗れた多くの源氏は地方へと落ち延びて土着、武士化した後には鎌倉幕府を樹立した源頼朝などを輩出し、武家の棟梁という地位を確立しています。
戦国時代

北条家五家老衆の証・北条五色備

小田原北条氏の五家老はそれぞれ色の付いた旗や甲冑を装備させて戦場に臨んでおり、この部隊を総称して北条五色備と呼ばれています。地黄八幡・北条綱成を筆頭に、黒備えの多目元忠、赤備えの北条綱高・白備えの笠原康勝及び清水康英、そして第二次国府台合戦で戦った青備えの富永直勝をご紹介しています。
琉球史

限りなく架空に近いアマミキヨの子孫・天孫氏

沖縄の神話で語り継がれるアマミキヨの子供の1人・天孫氏とその子孫は、舜天王の時代に入るまで25代17,000年に渡って琉球を治めたとされています。もちろんそんなことがある訳もないということで、第二尚氏王統の頃の学者・程順則によって完全に否定されています。
琉球史

初代中山国王となった源為朝の落胤・舜天王

アマミキヨの子孫とされる天孫氏が李勇という人物によって滅ぼされた後、仇討ちの形で李勇を討伐した舜天王が初代国王に即位しています。正式な歴史書である中山世鑑によれば舜天は源為朝の子供とされていますが、薩摩藩や琉球国民への配慮の結果、「琉日同祖論」が作られた可能性が高いと思われます。
戦国時代

朝倉家3代を支え続けた大黒柱・朝倉宗滴

朝倉家の当主の子として生まれた朝倉宗滴は、主君が3回代替わりしても補佐を続けています。声望を高めた九頭竜川の戦いを始めとする軍事面だけでなく、外交や情報活動・内政など、多岐に渡って辣腕を振るう大黒柱として多大な功績を残しています。
その他考察

灰吹法伝来と石見銀山の歴史

島根県にある石見銀山は、大内義興や尼子経久・毛利元就などの大名によって争奪戦が繰り広げられ、また所有者を経済的に支え続けました。江戸時代には世界的にもトップクラスの銀産出量を誇った銀山は、江戸中期に入った頃には段々と枯渇し、放棄された後に現代ではユネスコの世界遺産に登録されています。
その他考察

日本三大怨霊

平安時代という一見平和な時代でも戦乱や権力闘争は頻繁に起きており、敗者には過酷な刑が下される場合も多々あります。そういった時代背景の中に生きた菅原道真・平将門・崇徳上皇の3人が恨みを持つに至る過程と、怨霊となって起こしたと言われる事件、そして後日談をご紹介いたします。
琉球史

尚徳王の王府再興への挑戦と最期

「球陽」という第二尚氏王統の頃に編纂された歴史書では、尚徳王という第一尚氏王統最期の王は手が付けられない暴虐の王として描かれています。ですが経済復興を志し領土拡張にも力を注いだ記録も残っており、同じ歴史書の中でも別人のことを書いてるのかと思える程食い違いがあります。
用語集

冊封とは中国王朝の皇帝を君主として従属関係を結ぶこと

中国王朝の天子(皇帝)が周辺国の王に対して爵位を与えることで、名目上の従属関係を持つことを指します。従属した国は冊封国と呼ばれ臣下という扱いにはなりますが、実際には様々な面でメリットが大きく、室町幕府3代将軍・足利義満も名誉を捨てて実利を取るという決断をしています。