鎌倉時代

鎌倉時代4 宝治合戦と幕府体制の移り変わり | 源氏以外の将軍就任

今回の記事では承久の乱後に、北条氏の主導により幕府統治がより強固なものになっていく流れをご説明します。 源実朝が暗殺されてから承久の乱が起きている間まで、正式な将軍は不在のままとなっています。北条義時は源氏から次の将軍は選ばずに、朝廷から貴族を将軍にするために招くことにしました。
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鎌倉時代2 比企能員の変 | 御家人たちの争い

今回の記事では頼朝の将軍就任から死去、その後には幕府の有力な御家人である梶原景時や比企能員が内戦で次々と滅び、そして将軍の権威がなくなっていく場面のご説明をします。
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鎌倉時代5 元寇 | モンゴル帝国の襲来

元寇は大きく分けて2回起きており、1274年の一回目が文永の役、1281年の二回目が弘安の役と呼ばれています。7年もの間をあけて2度も日本に攻め込んできたフビライ・ハンの元軍に対して、北条時宗を中心に武士団がまとまり、元軍を撃退することに成功します。
鎌倉時代

鎌倉時代の豆知識

今回の記事では、鎌倉幕府の幕府や将軍位、また元寇の折に元軍が使用した「てつはう」という武器についての考察など、雑学的な豆知識を記載しております。 学校の教科書にこんな文章が書かれていませんでしたか? 「元軍はてつはうという武器を用い、日本軍を苦しめた」といった文章です。この平仮名で表記される「てつはう」という武器は、陶器や鉄の容器に収められた簡素な爆弾です。使い方は導火線に火を点けてから敵に向かって投げ、爆音や爆風で相手を攻撃したり威嚇したりする道具です。
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鎌倉時代6 鎌倉幕府の終わり | 後醍醐天皇は諦めない

今回の記事では、幕府による元寇の経済的な打撃の回復策と、幕府が滅亡していくまでをご説明したいと思います。 元寇で戦った御家人達は、移動から装備品などを全て自費で賄っていました。 このこと自体はごく普通のことで、御家人達も自費で参戦すること自体は何の疑問もなかったと思います。ですが問題は、戦争に参加して十分な報奨が得られなかったことですね。
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鎌倉時代3 承久の乱 | 朝廷と武士の立場が逆転するキッカケとなった事件

今回の記事では、3代将軍源実朝が暗殺され、その後に起きた朝廷との争い・承久の乱の一部始終をご説明します。 乱が起きた背景として鎌倉将軍が公暁という謎の人物に暗殺されたことで、幕府内が混乱に陥ったことに端を発しています。朝廷側の後鳥羽上皇は混乱に乗じて鎌倉幕府を打倒するために挙兵し、2代執権・北条義時や北条政子がこれを迎え撃ちます。
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鎌倉時代1 鎌倉時代の始まり | 源頼朝による鎌倉幕府成立

鎌倉時代という言葉から受けるイメージは、「武士の時代」ではないでしょうか。実際に初めて幕府という、武士による政権が作られています。 ですが幕府が日本全国を管理下に置き、外交にまで口を出す権力を手に入れたのは、幕府ができてからすぐのことではありません。平氏を打倒して間もない頃は、源頼朝を支持して兵を出した関東と、せいぜい中部地方くらいまでが支配地域でした。