尚徳王の王府再興への挑戦と最期

尚徳王が討伐に向かった喜界島 琉球の人物録
尚徳王が討伐に向かった喜界島の現在

暴君とされた第一尚氏王統最後の王・尚徳王

尚思紹・尚巴志王親子によって成立した琉球王国国王の系譜は一旦途絶え、尚円金丸という人物によって次の王統が作り上げられています。この尚巴志から続く系譜は第一尚氏王統と呼ばれ、第七代国王の尚徳王で途絶えてしまいます。その後に王として即位した尚円金丸の血筋の者が王位を継承し、この系譜は第二尚氏王統と呼ばれています。

琉球王国の正史である「球陽」等には、尚徳王を批判する記述が多いため、後の世ではその名前は暴君として知られるようになりました。実際の尚徳王が「球陽」に描かれる通りの暴君だったのか、また善政を布いた名君であったのかはわかりませんが、今回はその事績を辿りながら人物像を考察したいと思います。

父・尚泰久王の意思を継いで

3男という弱い立場から王位を継承

尚徳王は父・尚泰久王の急逝によって、1461年に21歳の若さで王位を継いでいます。彼は身分に劣る側室を母に持つ上に、3男という王位継承から程遠い立場ではありましたが、正室の子である兄二人を差し置いて王位を継承しています。その理由としては、兄二人が謀反の疑いをかけられた護佐丸の娘の子であったからであるとか、2人して父・尚泰久王との折り合いが悪かったから等が挙げられています。

兄を差し置いて王位を継承するという出来事はかなり稀なケースではありますが、日本本土の戦国時代、しかも徳川家という幕府将軍家においても同様の例が見られます。もっとも、兄であるにも関わらず跡継ぎの座を譲ることになった結城秀康は生まれに問題があった側でしたが。そのため血筋という面で劣る尚徳王の王位継承は、継いだ時点でイザコザの種を抱えていたものと思われます。

徳川家康の次男でありながら、長男死後に跡を継げなかった結城秀康についてはこちらからどうぞ。

謀反の疑いをかけられた護佐丸と勝連の悪役・阿麻和利の戦いはこちらからどうぞ。

経済復興に力を注いだ尚徳王

第一尚氏王統の統治下における琉球王国は63年の間に7度も王が変わっており、その都度王位継承を巡って肉親同士で争うという、極めて不穏な政権交代劇を繰り返していました。国王が変わるとガチャガチャと争いが起き、落ち着いたかと思えばまた同じことが起きており、そんな国が経済的な発展なんて見込めるワケもありません。そんな中で尚徳王の父・尚泰久王は胸に想いを秘めながら即位、大交易時代と呼ばれる経済発展期を生み出すことに成功しました。ですがそんな熱い想いを打ち砕くがごとく、病魔は尚泰久王の命を簡単に奪い去ってしまいます。

聡明な父の跡を継いだ尚徳王も貿易が与えるメリットを理解していたようで、同様に貿易に力を注ぎ入れています。即位の翌年には明から冊封を受け、室町幕府8代将軍・足利義政に対しては芥隠承琥(かいいんしょうこ/琉球に臨済宗を伝えた京都・南禅寺の高僧)という臨済宗の高僧を使者として送るなど、周辺諸国との関係強化を図り貿易の可能性を模索しています。さらにはマラッカ(マレーシア南西部の都市)に使者を派遣するなど、交易に関してかなり積極的に拡大を図っています。

また尚泰久王が発行していた通貨である「大世通宝」をマネたのか、「世高通宝」という通貨を発行しています。流通貨幣を増やすことで経済発展を促すと共に、自らの手で自身の権威を高める努力をしています。

親子で仏教の普及を助ける

琉球王国においては日本本土独自の宗教「神道」と同様に、祖霊崇拝の文化が定着していました。そのため外国産宗教は普及しにくいだろうと思いきや、尚徳王の父・尚泰久王の代から積極的に仏教を取り入れています。尚泰久王が師として仰いだのは京都南禅寺の高僧・芥隠承琥であったためか、特に仏教禅宗の一大宗派・臨済宗の普及が進んでいます。

先の見出しでお伝えしているように、芥隠承琥は室町幕府との仲介役を果たしています。ということはこの僧侶とも一定以上の交友があったことになり、ある程度は仏教の保護にも力を入れたのではないかと思われます。

ちなみに尚泰久王は天界寺という寺院の建立を始めていますが、この寺院の大宝殿は未完成のまま亡くなっています。尚徳王はその志をも引き継いで大宝殿を完成させており、また追加で巨大な金鐘を鋳造し仏殿に掛けたと言われています。この天界寺は残念ながら残っていませんが、異様なまでに大規模な寺院だったようで、後の時代に琉球を訪れた中国・明の使者が驚き称賛したという記録すら残っています。

武芸者・尚徳王の最期

神号「八幡按司」の理由

尚徳王は武芸者としても非常に優れていたとされており、特に弓に秀でていたと伝わっています。この血気盛んな王の事績として有名なのが、喜界島征伐です。この喜界島征伐は、尚巴志以降では初めて琉球国王自身が赴いた戦となっています。

王府編纂の正史である「球陽」によると、数年間に渡って貢納を怠った喜界島に対し、尚徳王は自ら2000人程の兵を率いて出兵します。その道中に、安里(あさと/那覇市北側にある地域)の地で喜界島征伐の願掛けを行ったと言います。それは、飛んでいる鳥を射落とせるかどうかで、喜界島征伐の成否を占うというものでした。鳥を見事に射落とせれば成功、射落とせなければ失敗として、尚徳王は飛ぶ鳥目掛けて矢を放つと、飛んでいる鳥を見事に射抜くことに成功します。この事から、尚徳王の弓の腕がいかに優れていたかが窺い知れると思います。

この願掛けが功を奏したのか、尚徳王は喜界島の兵士の奮闘に苦しめられるものの、見事に喜界島の平定を成し遂げます。そこで尚徳王は願掛けを行った場所である安里に、当時の日本本土の武家に守護神として広く信仰されていた、八幡神(やはたのかみ)を祀る神社を建立しました。ここが現在でも沖縄で唯一の八幡宮である安里八幡宮となっています。尚徳王の神号として、「八幡按司」という名称が用いられています。この安里八幡宮を建立したこと、さらに武芸に秀でていたということで武神の名が当てられではないでしょうか。

安里八幡の写真
沖縄県那覇市安里にある安里八幡

金丸との対立と謎の死

再度、「球陽」においての尚徳王の姿を見てみましょう。尚徳王は、尚泰久王の頃からの重臣であった金丸の諫言を全く聞き入れなかったと言います。尚徳王は突然罪の無い民を殺すという残虐行為に走り、日に日にその暴虐ぶりは増していったと伝わります。あまりの手の付けられなさを嘆いた金丸は、もはや止めようがないとして政治から身を引き隠居してしまいます。

そして金丸の隠居から1年後、尚徳王は突如として謎の死を迎えています。その原因として考えられているのは、金丸による暗殺説、金丸を時期国王に推す家臣団の謀殺説などがあります。また、久高島(くだかじま/沖縄県の東南方向にある離島)の神女と恋に落ちていた尚徳王が、王府を留守にしている間にクーデターが発生してしまい、妻子が殺されたと知った彼は海に飛び込んで亡くなったという悲劇的な説もあります。このように様々な説があるものの、尚徳王急逝の原因は未だに解明されておらず、現代においても謎のままとなっています。

第二尚氏王統創立の生贄役として

それぞれ別の人物のことを書いているのではないかと思うほど、尚徳王という人物の記録は「善」と「悪」にハッキリと分かれています。琉球王国の更なる発展を目指す若き名君と、残虐な行為を躊躇なく行う暴君が、同一人物であると考える方が難しいように思えてしまいます。もしかしたら名君として振る舞いながらも若さゆえに時には暴走してしまい、残虐な行為に走ってしまったのかもしれません。ですが「球陽」に描かれる尚徳王はそれ程多くない記述の割に、あまりに多面的すぎる印象を受けてしまいます。

これまでの王統と血筋が全く違う第二尚氏王統を建てた尚円金丸にとっては、民衆に交代劇を納得させるための「ストーリー」が必要であり、みんな大好きな勧善懲悪物語を成立させる「悪者」が必要だったのではないでしょうか。ぶっちゃけてしまえば第一尚氏王統は王がコロコロ替わる不安定すぎる政権であり、家臣達や民衆にとって不満の種だったとしても不思議はないでしょう。王以外の人々が安定した政権を望んだ結果が第二尚氏王統だったとすれば、尚徳王の王位転落劇はいずれ起こる必然の出来事だったと言えるでしょう。もちろんこの考察は想像でしかありませんが、尚徳王がこの「悪者」役に当てられてしまった可能性は十分にあるかなと思います。若き最後の王は暴虐の果てに家臣に見限られたのか、もしくは尚円金丸の野心の前に倒れたのか、むしろ全てを悟った上で王位を差し出したのか。いずれにせよ、我々現代人には決して知ることのできないドラマがあったことだけは確かです。

次回もまた、琉球の歴史を面白いと感じてもらえるようなお話をさせていただければと思っています。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

尚徳王の王府再興への挑戦と最期・参考サイト様

レキオ島唄アッチャー 琉球弧の歴史と喜界島(13)、尚徳王

http://rekioakiaki.blog.fc2.com/blog-entry-574.html?sp

ハイホーの沖縄散歩 尚徳(しょうとく)王陵墓跡(那覇市)

http://sanpo.ifdef.jp/naha/syotoku.html

かげまるくん行状集記 天界寺跡

http://www.kagemarukun.fromc.jp/page110b.html

那覇市観光資源データベース 安里八幡宮

https://www.naha-contentsdb.jp/spot/435

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