徳川家康

安土桃山時代の人物録

生まれは微妙で器量は最高 薄幸の剛将・結城秀康 | 後継者になれなかった徳川家康の次男

母親の身分が低く、また戦国当時の価値観として蔑まれる双子で生まれた結城秀康は、次男ですが長男死後も跡継ぎという立場から除外されています。父・徳川家康との複雑な関係など、秀康にまつわる様々なエピソードをご紹介いたします。
その他考察

明智光秀の謀反の理由

天下統一まで後少し、というところまで漕ぎ着けていた織田信長を明智光秀が謀反を起こした本能寺の変の理由については、研究が進んだ現代でも謎のままとなっています。怨恨説や野望説、また羽柴秀吉や徳川家康が裏で糸を引いていた黒幕説など、歴史的な事実が混ぜ込まれた様々な説が提唱されています。
安土桃山時代の時代史

安土桃山時代4 織田信長は天下統一を目の前にして明智光秀の前に散る | 本能寺の変

甲州征伐で宿敵・武田勝頼を滅ぼし、織田信長は天下統一へ大きく踏み出しています。信長は武田家討伐後には徳川家康を招いて祝宴をあげた後、中国地方攻略にあたっていた羽柴秀吉の救援に向かおうとしますが、京都で宿泊していたところで明智光秀が謀反、「本能寺の変」で志半ばにして倒れます。
安土桃山時代の時代史

安土桃山時代3 織田信長の甲州征伐

長篠の戦いで弱体化した武田勝頼の討伐に踏み出した織田信長、その戦いの発端から天目山での結末までをご説明しています。
戦国時代の人物録

徳川四天王 本多忠勝 | 徳川家康に尽くした天下無双の忠義者

生涯で57回もの戦争に参加した本多忠勝は、その全ての戦闘でカスリ傷の一つすら負わなかったといいます。だったら後ろで指揮だけして兵だけを戦わせていたのでは?なんて思ってしまいますが、むしろ忠勝は「一騎駆け」や少数の兵での突撃というかなりの無茶もしており、スタイル的にはどちらかと言えば猪武者でしょう。
安土桃山時代の人物録

表裏比興の者・真田昌幸 | 徳川家康と戦い続けた謀将

軍略家として名高い真田昌幸は、豊臣秀吉配下の石田三成に「表裏比興の者」という評価を受けています。「比興」とは他の物に例えた面白い表現を意味しますが、実は「卑怯」という意味も持っています。長篠の戦いで兄を失い急に家督を相続した真田昌幸は、徳川家との2度の上田合戦にて完璧とも言える大勝利を収めます。
安土桃山時代の時代史

安土桃山時代1 長篠の戦い | 騎馬の武田勝頼と鉄砲の織田信長

徳川家康と武田勝頼の争いが発展して起きた長篠の戦い、この戦いの発端となった奥平信昌についてや織田信長の参入も含めてご説明しています。
安土桃山時代の人物録

徳川秀忠の妻となった浅井三姉妹の末っ子・江与

江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の正室であり3代・徳川家光の母、そして天皇家にもその血を残す浅井三姉妹の末っ子・江与について紹介しています。
戦国時代

戦国時代 浅井三姉妹の長女 茶々 | 豊臣家の後継者・豊臣秀頼の母

織田信長の妹・お市の方と浅井長政の長女・茶々について、淀の方と呼ばれた経緯、また豊臣秀吉や豊臣秀頼との出来事をご説明しています。茶々は織田信長の妹・お市の方と浅井長政の長女として生まれています。織田信長と朝倉義景の争いに巻き込まれる形で朝倉側についた浅井長政は、織田信長に敗れてお市の方と3人の娘を残し自害しました。後にお市の方は柴田勝家と再婚をしますが、柴田勝家も羽柴秀吉によって滅ぼされ、お市の方はここで柴田勝家とともに自害します。残された3人の娘達は羽柴秀吉に保護され、それぞれ別々の道を歩んでいくことになります。
戦国時代の時代史

戦国時代6 姉川の戦い | 浅井・朝倉と織田・徳川連合軍の激突

織田信長と足利義昭の関係の悪化、それに伴って起きた浅井長政・朝倉義景との戦い、金ヶ崎の戦いや姉川の戦いについてご説明しています。
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