乱暴・愚痴っぽい・酒癖最悪! | でも涙もろくて憎めない男・福島正則のエピソード集

酒の筆文字 安土桃山時代
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主筋を守る福島正則とその後

本来であれば全てを持っているべき人物・織田秀信

関ヶ原で大規模な合戦が起きる前、美濃国(岐阜県)岐阜城には本能寺の変で倒れた織田信長の孫となる織田秀信が籠城していました。この織田秀信という人物は信長の長男・織田信忠の長男であるため、本来であれば織田家の全てを相続していたはずの人物です。明智光秀を討伐した後に開催された清州会議でも三法師という名で登場しており、正当な後継者であると満場一致で決定しています。

清州会議についてはこちらからどうぞ。

ところが戦国の世ではあらゆる決め事は勝者によって塗り替えられるということで、本来織田秀信が持つべき物も徐々に豊臣家に吸収され、気付けば岐阜城の城主という立場に収まっていました。この関ケ原の戦いの時点で織田秀信も20歳前後であり、己の立場をわきまえた上で、西軍の一武将として岐阜城の防衛に努めました。ですが東軍に付いた福島正則らの攻撃で岐阜城はあっけなく落城、織田秀信は捕虜にされたまま関ケ原本戦を迎え、そして東軍の勝利に終わっています。

織田秀信をなりふり構わず庇う福島正則

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康の西軍諸将への仕置きは、当たり前のこととは言えかなり苛烈な内容でした。少しでも東軍に抵抗した様子があれば領地を取り上げられるのは当たり前で、戦闘に参加した武将の多くは流罪か自刃を申し渡されており、織田秀信も例外とはいかず自刃が言い渡されることに決定していました。

織田秀信の肖像画
織田秀信の肖像画

ですがそこに待ったをかけたのはやはり福島正則、自分の主筋に当たる人物だから命だけは助けて欲しい、という必死の助命嘆願をしています。正則にとってこの時も豊臣家こそが主君であり、その豊臣家の先代に当たる秀吉の元主君=織田秀信という、逆上っての主従による関係を一言で表すと「主筋」という言葉になります。正則はこの「主筋」の人間を守るために、自身の戦功と引き換えにしても良いという条件すら出しており、かなりの本気度が窺えます。結局織田秀信は無条件の追放処分で済むことになり、正則のゴリ押しが通ってしまった格好でこの一幕は幕を閉じています。

家臣の名誉のために徳川家臣の切腹を要求

織田秀信の命を救ったまでは良かったのですが、正則はここで味をしめてしまったのか、その後も徳川家に対して強硬な態度をとり続けてしまいます。福島家の家臣が徳川家康の伏見城へ使者として向かったのですが、忘れてしまったのか通行証を所持しておらず、通してもらえなかったことを恥じて自害するという事件が起きています。ここだけ見ると悪いのは完全に通行証を持っていなかった福島家の家臣であり、だからこそ自身のそそっかしさを恥じて自害したのでしょう。ですがこれを聞きつけた福島正則はカンカンに怒り、家臣を追い返した門衛の上司にあたる伊奈図書(いなずしょ)という人物を切腹させろ、というかなり無茶な要求を出しています。

徳川家康も普通の相手であれば穏便な対処がとれたのでしょうが、残念ながら相手は一度言い出したら何を言っても聞かない正則であるため、仕方なく応対した門衛を処刑し首を正則に送り届けました。ところが正則は「欲しいのは伊奈図書の首です」ということで再度要求、徳川家康も渋々伊奈図書を切腹させ、その首を送り届けて解決を図っています。

この徳川家康の対応にようやく満足した正則でしたが、実はこの出来事が徳川家に大きな傷を残し、後に正則が没落していく原因になっているとも言われています。「桶屋の息子から50万石の大大名へ」でもご説明しておりますが、大阪の陣が終わり余計な心配をする必要がなくなった徳川家は、かなり強引な理屈で正則の改易への道を作り、石高にして10分の1以下という重すぎる減転封を行っています。この伊奈図書の1件から、徳川家にとって福島正則という人物はただの厄介な腫れ物になってしまったのかもしれません。

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酒は飲んでも飲まれるな!福島正則の酒癖悪いエピソード

名槍・日本号を呑み取られる

福島正則の生き甲斐とも言える夜の酒宴の真っ只中、すでにデキ上がっていた正則の元に1人の武士がやって来ました。主君・黒田長政の使者としてやって来た母里太兵衛は急ぎの用件ということでズカズカと押し入り、泥酔中の正則に対して要件を述べ始めました。

酔っ払っていた正則が連絡内容を覚えていたかどうかはさておき、酒癖の悪い正則は使者として参上している太兵衛に対して酒を強要し始めました。もちろん太兵衛は職務中ということでキッパリと断りましたが、デキ上がっている正則の絡み酒はさらに加速していきます。

太兵衛は主君の使いとしての使命を果たすべく帰りたがる素振りを見せますが、もちろん泥酔中の正則にとってそんな太兵衛はおつまみでしかありません。寄った勢いで引き止めているうちにハラスはエスカレート、なぜか「黒田家臣は酒に弱くて酔えば何の役にも立たない」という侮辱の言葉まで吐き始めました。さらに正則は更に普通はインテリアとしてしか使わないような大盃になみなみと酒を注ぎ、「飲み干せたのなら好きな褒美をとらす。」という煽りまで入れ始めました。

ですがこの言葉を聞いた太兵衛はキラリと目を輝かせ、「それならば。」と一言発すると大盃を手に取り、一息もつかずに怒涛の勢いで一気に飲み干しました。そして太兵衛は壁に掛かっていた日本号と呼ばれる槍を手に取り、「この槍を所望します。」と言って退出、正則は青ざめた顔になりながらも「武士に二言はない」、ということで太兵衛と家宝の槍が去るの見送ったというエピソードです。

完全に正則の自業自得でしかありませんが、実はこの話にはちょっとした後日談があり、正則は日本号を取り戻そうと太兵衛に頼み込みに行ったそうです。ですが太兵衛は「一度受け取ったものだから」ということで拒否、正則はトボトボと帰路についたということです。正則がそこまで執着するのにも理由があり、ここで失った日本号は「天下三名槍」に数えられる家宝どころではない国宝級の名槍です。槍自体についてはこちらでご説明しておりますので、ご興味がありましたらご確認ください。

酔った勢いで家臣に切腹を申し付ける

正則にとっては通常営業である泥酔真っ最中、とある家臣のことが気に入らなかったのかただの気分かはわかりませんが、酒の勢いでその家臣に対して切腹を申し付けました。現代では非常に不愉快な気分になって終わるだけのことですが、この当時は「武士に二言はない」の時代であり、酔った上での冗談であれ主君の言葉に対して家臣は必ず遂行する必要があります。そして切腹を申し付けられた翌日にその家臣は当然の如く、自ら切腹して果てることとなりました。

福島正則もその光景を目の当たりにしていたのでしょうが、自分自身が言い出したことであり、もはや「酔った勢いだったんだよ」なんて言い訳もできません。介錯が済み落ちた首に正則はすがりつき、謝りながら泣きじゃくったとされています。泣けばいいという訳ではまったくありませんが、正則としても家臣への申し訳ない気持ちでいっぱいだったんでしょうね。

まさに問答無用!福島正則の乱暴エピソード

ノミで大人を刺殺した子供時代

もう全てが見出しに含まれている気がしますが、福島正則はまだまだ子供の時分に大人を刺殺したという凄まじい前歴があります。しかも凶器は木工に用いられるノミということなのですが、このノミという道具は本来柄を槌で叩いて使う物であり、これを握りしめて人に突き刺そうとしたらかなりの力が必要となります。もちろん先端は鋭利なので危険な道具には違いないのですが、偶然刺さっちゃった程度の力の込め方ではちょっと深い切り傷ができるだけでしょう。つまり子供の腕力であれば、ある程度というか相当真剣にやらないとこんな事件は起きなかったでしょう。正則少年、恐ろしい子供です。

乱暴逆パターン:福島正則を薙刀で追い回す正妻・昌泉院

福島正則は自身の重臣となる津田長義の娘・照雲院を正室としていましたが、こちらの女性は2人目の男児の出産の際に難産でそのまま帰らぬ人となっています。正則は妻を亡くしてから約2年後、徳川家康の養女・昌泉院を正妻として迎えています。ですがこの昌泉院という人物もなかなかの気性の荒さがあり、他の女性に手を付けた正則を薙刀片手に追いかけ回すという、ある意味お似合いのご夫婦となっています。

ちなみにこの昌泉院は、正則が安芸50万石から信濃国高井野に減転封された際、2人の娘を連れてそそくさと実家に戻っています。喧嘩しながらも仲のいい夫婦的な展開をちょっと期待してしまいますが、やはりドライな気がしてしまいちょっと寂しいですね。

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福島正則のまとめ・全力少年!

この人物について調べれば調べる程、悩んでしまうというか考えさせられることがありました。もしこのような人物が身近にいたとしたら、良い友人として付き合えるか、ということを筆者は繰り返し考えております。多分ではありますが、同じ目的を持って行動をするには頼もしい限りでしょう。ですが一度でも、そしてほんの少しでも目的がズレてしまえば、ただの厄介な人になってしまい毛嫌いしてしまいそうな気がします。

ですがやはり思ったことをストレートに言う人というのは面白いもので、一時的に腹は立っても結局は嫌いにならなかったりしますよね。福島正則という人物も、豊臣秀吉を始めとして多くの朋友達に支え合いながら、過酷な戦国時代を生き抜いた1人なのでしょう。

正則の出生地となる愛知県あま市では「英雄」として扱われており、名前にあやかったというかダイレクトに使った「正則保育園・正則小学校」が現在も普通に存在しています。そして生誕地を示す石碑まで建っており、地元ではかなり手厚く扱われています。周囲に迷惑をもたらす乱暴者であり、酔った勢いで切腹させた家臣に泣き縋る泣き虫であり、また「英雄」でもある。福島正則という人物はその全てで全力を尽くした、そしていかにも人間らしく生きた人物なのでしょう。

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