時代別

安土桃山時代

織田家の行く末を決める静かな戦い・清州会議

本能寺の変で織田信長と長男・信忠が亡くなってしまったことで、誰が織田家のイニシアチブを握るかという問題が急浮上しています。織田家の行く末を決めるための話し合いの場として、宿老や織田一族が清州城に集まり清洲会議が開催されます。
安土桃山時代

羽柴秀吉の中国大返しと山崎の戦い

ほぼ天下人・織田信長が本能寺の変で倒れた頃、羽柴秀吉は中国地方の毛利家攻略の真っ最中でした。そもそも明智光秀は秀吉の応援に向かうという名目で軍を動かしており、そのため京都を通過すると見せかけての襲撃に成功、誰にも邪魔されず信長を討ち取っています。その後秀吉は中国大返しを敢行して疾風のごとく光秀の前に現れ、山崎の戦いで主君の仇に勝利します。
戦国時代

越前の狂犬・富田長繁

朝倉家の家臣として織田家と戦っていた富田長繁は、小谷城付近での戦いで前波吉継らと共に織田家に投降しています。その後前波吉継を始めとして周囲の人間を手当たり次第に攻撃しており、越前の狂犬というニックネームに相応しい立ち回りを見せています。
戦国時代

後北条氏の生き字引き・北条幻庵

北条早雲の末子として誕生した北条幻庵は、初代早雲から5代氏直まで、後北条氏の全ての当主に仕えています。文化的な活動だけでなく外交や軍事など、マルチな才能で北条家を5代に渡って支え続けています。
飛鳥時代

聖徳太子とは何者だったのか?

聖徳太子が成し遂げたとされる業績は非常に大きなものですが、同時にどういった人物だったかが現代でも不明のままとなっています。蘇我馬子と同一人物という説や人としての理想像として形作られた虚構の人物説など、いくつかご紹介しております。
平安時代

第六天魔王となりて | 崇徳天皇が怨霊になってしまった理由

日本三大怨霊の一人とされる崇徳上皇は、平安時代の末期に過酷な運命を背負って生まれています。父とされていた鳥羽上皇が実父ではないという疑惑や、謀反人と疑われたことで起こした保元の乱の後に、配流された讃岐国で天皇家を呪う壮絶な言葉を残して亡くなります。
戦国時代

戦国最強の義将・上杉謙信は女性だったのか? | 上杉謙信女性説

戦国時代に武田信玄と並び、最強国の一角として日本全国に名を轟かせていた上杉謙信でしたが、男性ではなく女性だったという異説が提唱されています。 八切止夫氏が唱える上杉謙信女性説を始めとして、女であったという根拠をご説明いたします。
安土桃山時代

徳川四天王 傷だらけの闘将・井伊直政 | 武田の赤備えを継承した井伊の赤鬼

井伊直政は大河ドラマにもなった「おんな城主 井伊直虎」の養子として人生をスタートします。 井伊直政は15歳にして徳川家康に仕え始めると急激な出世を繰り返し、本多忠勝ら幕僚達と競り合いながら小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いでも活躍、江戸幕府設立へ向けて大きく貢献します。
安土桃山時代

生まれは微妙で器量は最高 薄幸の剛将・結城秀康 | 後継者になれなかった徳川家康の次男

母親の身分が低く、また戦国当時の価値観として蔑まれる双子で生まれた結城秀康は、次男ですが長男死後も跡継ぎという立場から除外されています。父・徳川家康との複雑な関係など、秀康にまつわる様々なエピソードをご紹介いたします。
安土桃山時代

明智光秀の謀反の理由

天下統一まで後少し、というところまで漕ぎ着けていた織田信長を明智光秀が謀反を起こした本能寺の変の理由については、研究が進んだ現代でも謎のままとなっています。怨恨説や野望説、また羽柴秀吉や徳川家康が裏で糸を引いていた黒幕説など、歴史的な事実が混ぜ込まれた様々な説が提唱されています。