安土桃山時代

安土桃山時代

関ヶ原の戦いに至るまで

豊臣秀吉という独裁者が病死したことで、大名達にダメージだけを残して慶長の役が中断されています。そんな中で秀吉から豊臣秀頼の後見を託されていた五大老の筆頭・徳川家康は、遺言のルールを無視しながら権力拡大を続けますが、五奉行の一人・石田三成が家康の横暴に待ったを掛け挙兵します。
安土桃山時代

豊臣秀吉は大明帝国征服を目指す | 文禄の役と慶長の役

天下統一という大事業を成し遂げた豊臣秀吉は、小田原征伐が済んで2年後には朝鮮出兵に取り掛かっています。順調に侵攻が進んでいた文禄の役は日本軍・明軍ともに陥った食糧難によって講和が結ばれ、2度目となる慶長の役は秀吉の死によって撤退、明国征服という途方も無い野望は夢のまま終わっています。
安土桃山時代

豊臣秀吉はなぜ朝鮮に出兵したか?

なぜ秀吉が朝鮮出兵を行ったかという動機や理由については、研究が進んだ現代の歴史家の間でも議論の的となっています。息子や弟を失った悲しみから出兵に至ったという説や、新たな領土を獲得する必要があった説など、考察を混じえながらご紹介いたします。
安土桃山時代

天下統一までの道のり | 豊臣秀吉の九州征伐と小田原征伐

豊臣秀吉は小牧・長久手の戦いで徳川家康に苦しめられましたが、なんとか織田信雄との和睦を成立させることで終戦を迎えています。関白に就任した秀吉は、島津義久打倒の九州征伐と北条氏直打倒の小田原征伐に乗り出します。
安土桃山時代

嘘つき・醜悪・女たらし! | 天下人・豊臣秀吉の豆知識エピソード

身分制度が若干崩壊していた戦国末期という時代だったにしろ、豊臣秀吉は百姓という身分から成り上がり、武力による天下統一という大事業を成し遂げています。その成り上がりストーリーは豊臣家を踏み潰して成立した江戸幕府の統治下でも人気が高く、現代に至っても様々な創作物のテーマとなっています。そんな人気者の秀吉にまつわる様々なエピソードや豆知識を、有名なものからマイナーなものまでいくつかご紹介したいと思います。
安土桃山時代

徳川家康は羽柴秀吉との戦いに挑む | 小牧・長久手の戦い

羽柴秀吉が織田信雄を安土城から追放したことで、庇護者を求めた信雄は徳川家康と同盟を結びます。家康は各地の反秀吉派勢力と結び、強大な羽柴軍との戦いに臨みます。
安土桃山時代

織田家の後継者決定戦!賤ヶ岳の戦い

清州会議で宿老筆頭の座を羽柴秀吉に明け渡した柴田勝家は、滝川一益らと共に反秀吉派を形成し、戦いを挑みます。ですが前田利家の寝返りによって柴田軍は崩壊し、勝家はお市の方とともに北ノ庄城で自害して果てることになります。
安土桃山時代

織田家の行く末を決める静かな戦い・清州会議

本能寺の変で織田信長と長男・信忠が亡くなってしまったことで、誰が織田家のイニシアチブを握るかという問題が急浮上しています。織田家の行く末を決めるための話し合いの場として、宿老や織田一族が清州城に集まり清洲会議が開催されます。
安土桃山時代

羽柴秀吉の中国大返しと山崎の戦い

ほぼ天下人・織田信長が本能寺の変で倒れた頃、羽柴秀吉は中国地方の毛利家攻略の真っ最中でした。そもそも明智光秀は秀吉の応援に向かうという名目で軍を動かしており、そのため京都を通過すると見せかけての襲撃に成功、誰にも邪魔されず信長を討ち取っています。その後秀吉は中国大返しを敢行して疾風のごとく光秀の前に現れ、山崎の戦いで主君の仇に勝利します。
安土桃山時代

徳川四天王 傷だらけの闘将・井伊直政 | 武田の赤備えを継承した井伊の赤鬼

井伊直政は大河ドラマにもなった「おんな城主 井伊直虎」の養子として人生をスタートします。 井伊直政は15歳にして徳川家康に仕え始めると急激な出世を繰り返し、本多忠勝ら幕僚達と競り合いながら小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いでも活躍、江戸幕府設立へ向けて大きく貢献します。